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地域づくりを担う住民集団
大きく拡がるビジネス構想

■町主導から、独自の事業展開へ
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田中 久子氏
NPO法人 青森なんぶの達者村
代表理事
1947年、名川町(現南部町)生まれ。農業に従事しながら、名川町チェリーセンター101人会会員、名川観光ボランティアガイドめごかべクラブ会長、達者村ホームスティ連絡協議会副会長などを務め、2010年より達者村づくり委員会に参画。12年、発足と同時にNPO法人「青森なんぶの達者村」代表に就任。

----南部町が進めている「達者村」事業の中で、貴団体の役割や設立の経緯について教えてください。

 「青森なんぶの達者村」は、2012年8月にNPO法人として県の認証を受けました。現在、南部町の農業や自然、住民の魅力をたくさんの人に知ってもらうための「グリーンツーリズム総合事業」、南部町の特産品を使い商品開発を行う「農商工連携・6次産業化事業」、来訪者も住民もみんなが達者に暮らせるまちづくりへ向けた「まちづくり中間支援事業」の3事業を柱として活動しています。

 「達者村」とは、豊かな自然と新鮮な農産物、お達者な住民たちの暮らす町、そんな意味を込めた南部町の別名です。もともと旧名川町では、各農園で行っていた「さくらんぼ狩り」にやってくる観光客にお土産を買ってもらおうと、農家の女性による「名川チェリーセンター101人会」が発足し、産直施設「名川チェリーセンター」を運営、また都市農村交流を進めようと農業体験をする修学旅行生のホームスティの受け入れ事業を始めるなど、町民と行政が一緒になってさまざまな取り組みを展開していました。2004年から「達者村」を提唱し、その「開村」に向けて関係団体や役場の関係課職員からなるワーキング・グループを結成。官民がアイディアを出し合い、連携して取り組む体制ができ、そして同年10月に開村式を行いました。こうした旧名川町の取り組みが、現在の「達者村」プロジェクトのベースとなっています。

 このうち、ホームスティについては、名川町で初めて高校の修学旅行を受け入れた翌年、1994年には「ながわホームスティ連絡協議会」を結成、組織化することで生徒さんの多い学校を受け入れる体制も整いました。96年には旧南部町でも「なんぶホームスティ連絡協議会」ができ連携も進みました。2006年、町村合併に伴い両連絡協議会が合併し、『達者村ホームスティ連絡協議会』が発足。その後、福地地区からも加入者があり、南部町全町での受け入れ体制が整いました。

 初めは町主導で、私たち会員は町の事業へのお手伝いという意識で取り組んでいましたが、その頃から、町長さんから「いずれ独り立ちしてもらう」ということを言われていました。私は、独り立ちするとはどういうことか、ずっと考えてきましたが、町は物産の販売など営利事業はできないわけですから、その部分をNPOに担ってほしいということだと思います。つまり、会員が収入を増やすために、その柱となる事業を確立しなさい、ということだと思い、発足以来、さまざま構想を練っているところです。

■国際交流の実績を活かす

----NPOとしてのビジネスモデルをどのように構築していきたいとお考えですか。これまでの活動と成果についてもお聞かせください。

 現在、NPOの会員は、個人・団体と賛助会員を含めて43(2013年6月現在)。発足時の17から着実に増え、また「NPO」といえば「ああ、達者村の」と分かってもらえるぐらい認知もされてきました。NPOとなったことで、すぐお金を稼げるわけではありませんが、できることから取り組みを始めています。中心はホームスティの受け入れですが、NPOが窓口となり、受け入れ農家を斡旋することで、その手数料がNPOの収入となります。東日本大震災以降、風評被害もあり厳しい状況が続いていますが、独自の体験プログラムをつくるなどして、全国の学校への営業を行っています。

 ホームスティでは、基本のプログラム以外の体験メニューは各受け入れ農家に任されていますが、私は、個人的に、ドライフラワーセンター「メイプル」に連れて行って、オリジナルの携帯ストラップをつくる体験をしてもらっています。生徒さんたちはたいへん喜んでくれます。彼ら彼女らが、それを学校に持ち帰って広げてくれれば、また次の年にも後輩たちがその体験を楽しみに来てくれるかもしれません。そうした小さいこともリピーターの確保につながるものと考えて続けています。

 また、6次産業化関連では、ホームスティや農業体験で訪れた方に、リンゴ狩りの後でジャムづくりを体験してもらう、梅の収穫のあとで梅漬けもしてもらうなど、加工も体験していただいています。いくらかでも町の加工品のPRにつながっているのではないかと思います。

 もうひとつ、伝統野菜の復活にも取り組んでいます。「南部太ネギ」は、かつてこの地域で生産されていた特産品種でした。太くて、たいへん甘みがありおいしいのですが、栽培管理が難しく、今はほとんど作られなくなりました。昨年、NPOに専門チームをつくり、南部太ネギについての講習会、検討会を開催しています。現在、県立名久井農業高等学校と連携して、安定的な生産に向けた生産基盤の強化への取り組みを進めるとともに、イベントでの試食などPR活動も行っています。

 このほか、町内外のイベントなどで、会員手作りのさまざまな物産の販売も行っています。大きな収入になるわけではありませんが、NPO化して、こうした活動の範囲が広がったことはよかったと思います。また、合併したこともあり、同じ町内のものでも、私たち自身が知らない商品に出合うこともあります。そして何より、会員のみんながやりがいをもっていきいきと楽しそうに活動しているのが一番の効果でしょうか。NPOの活動を通して、仲間を広げて、この町の資源を私たち自身が発見し、そしてPRしていく。そういうつもりで活動しているところです。

----今後の事業展開について、抱負をお聞かせください。

 昨年、当NPOでは「東京支部」も設立しました。NPOが窓口となって、たとえば「ふるさと便」のような形で東京へ町の特産品を販売することや、東京でのホームスティ誘致活動も展開していきたいと考えています。

 また、私たちは、これまでのホームスティの受け入れを通して、海外とのパイプももっています。主に青森市の大学の留学生の受け入れから始まったものですが、タイ、台湾などとは長く交流を続けています。このほか、ブータンやインドネシアとも交流がありますので、例えば八戸の輸出を手掛けている企業を通して、これらの国にリンゴやサクランボなど果物を輸出することも構想しています。ただし、海外での販売となると、大きなロットが必要ですので、そこをどう確保していくかが現在の課題です。

 南部町産の果物は、海外でも絶対に売れる品質をもっています。国際競争に打って出ても、勝てると信じています。ですからこの事業はぜひ実現していきたいと思います。一方で、「交流」ですから、こちらのものを買ってもらったら、向こうのものを買うことも必要です。それが信頼関係を築き、長いつきあいへとつなげていくために大切だ思います。私は個人的にホームスティで知り合った方を通してタイからマンゴーを買っています。これを拡大すれば、輸入もまたNPOの事業の一つになるかもしれません。達者村は、名川町で交流人口を増やそうという考えからから始まった事業です。すべての活動の基本が「交流」にあることを忘れずに活動していきたいと思います。

 数年前から、NPOとは何か、NPO化する意味は何かをずっと考えてきましたが、実際に設立し、代表を務めてみて、今、私たちのここでの役割を、小さな農村地域の自然や農業、住民、文化や伝統を活用して、地域づくりに貢献する住民集団となることだと考えています。私は、小さいときから親に「馬なら乗ってみろ。人なら会ってみろ」と教わってきました。この精神で、「独り立ち」できる組織となるために、さまざまなことにチャレンジしていきたいと思っています。