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地元産リンゴを使い
愛と真実(まこと)の菓子づくり

■社名に込められた思い
写真
木村 公保氏
株式会社ラグノオささき
代表取締役社長
1947年、浪岡町(現・青森市)生まれ。66年、株式会社ラグノオささき入社。73年、同社取締役就任。常務取締役、代表取締役副社長を経て、2000年、代表取締役社長に就任。

----御社は、明治17(1884)年創業、株式会社としても約60年の歴史があります。長い歴史を通して、大切にしている考え方や企業理念について教えてください。

 当社は、駄菓子屋として現在の弘前市百石町で創業しました。その後、本格的な菓子店を開店したのは昭和の初期、戦争直前だったと聞いています。戦後、菓子作りを再開すると、昭和29年に株式会社化し店名を「銘菓のささき」と改め、昭和33年には初の洋菓子店「ラグノオ」を開店しました。昭和44年に商号を「ラグノオささき」とし、以後、洋菓子と日本伝統の和菓子を製造し、販売については小売りのほか、卸売業も展開しています。

 「ラグノオ」という店名は、17世紀のパリで人気だった菓子職人の名に由来するものです。詩人でもあり、貧しい詩人たちに自店の食べ物を無償で提供した好人物として、戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」にも実名で登場する人物ですが、この生き方に先々代の社長が共感し、自らの姿を重ね合わせて命名したようです。現在の「ラグノオささき」は、和菓子の「ささき」と洋菓子の「ラグノオ」を融合し、和洋両方の味を追求していくという思いが込められています。

 私が入社した頃は、毎朝朝礼があり、週一回の全体朝礼では、その先々代が作詞した社歌を社員全員で歌う習慣が残っていました。全部は覚えていませんが、印象に残っているのは「愛と真実(まこと)の商道守る」という部分です。その歌詞の通り、「うそ、隠し事はだめ」、「悪いことほどすぐに報告しろ」、ということは非常に厳しく言われました。そうした指導は現在も変わらず続けていますし、仕事に対する姿勢として、“まこと”をもって臨むという創業からの社風は、現在まで脈々と受け継がれていると感じています。

----お菓子は単なる食品としての存在を超えて、その国や地域の「味文化」「食文化」を代表するものといえます。老舗菓子店として、自社商品と青森の食文化の関係をどのようにとらえていますか。

 日本では、菓子が、単に日常の中での嗜好品としてのほか、進物、供物、贈答品などいろいろな形で利用されています。こうした利用の仕方はやはり日本特有の文化といえると思います。中でも青森県は特にその傾向が強いのです。年末年始やお盆の時期は需要が大きく増加しますが、秋田や岩手では普段の2~3倍ほどなのに対して、青森では5倍から6倍になります。それだけ、津軽などでは生活や風習の中にお菓子が溶け込んでいるということなのでしょう。

 そういう意味では、私たちが文化を創っているというのではなく、反対に、製品を地元の生活文化に取り込んでもらうことで商売をさせていただいているという感覚です。お盆の時期、弘前の禅林街で多くの人がラグノオの袋を提げて歩いているのを見ると、たいへん光栄に思います。

■リンゴ菓子へのこだわり

----リンゴを使った商品がたくさんありますが、リンゴを使う理由、原料調達面でのこだわりなどについて教えてください。

 「銘菓のささき」の頃にはすでにリンゴを使ったお菓子を作っていたようです。やはり青森県を代表する特産品ですから、観光土産品として考えた場合、リンゴを使った商品はPRしやすい、売りやすいということがあったと思います。またリンゴはさまざまな加工が可能なので、お菓子の原料として使いやすいということもあります。

 現在は、「気になるリンゴ」、「パティシエのりんごスティック」をはじめとして、当社の売上げのほぼ50%近くがリンゴ関連の商品となっています。原料として使っているリンゴはもちろん県内産が中心です。昔は、「国光」「紅玉」が中心でしたが、現在は量が少ないので原料としての調達は難しく、「ふじ」が中心となっています。「気になるリンゴ」については、かつての「紅玉」を使ったリンゴ菓子の酸味を懐かしむ声が多いことから、定番の「ふじ」を使った商品のほかに「気になるリンゴ 紅玉」も製造し、一部店舗で販売しています。

 リンゴ以外の原料についても、「値段が同じなら地元から」が調達の基本方針です。青森県は製造業が少ないですから、1次産品を除くと流通しているものはほとんど県外で作られたものです。これではお金は出ていくばかりです。ですから地元のものを使って地元で作ることにはこだわっていきたいと考えています。また、小売業やサービス業では、その地域内の人がお客さんになりますが、製造業は県外、あるいは海外のお客さんも相手にできます。外のお金を青森に落とすことができるわけです。そういう意味で製造業が果たすべき役割は大きいと思います。

 現在、「1次産業の6次産業化」ということが盛んに言われていますが、問題は「誰がやるのか」ということでしょう。ジュースなどの加工ぐらいまでは農家でできますが、大ロットで販売できる製品を製造することは現実的に不可能でしょう。ですから、2次と3次の部分、つまり作るところと売るところは私たち(企業)がやりますと、そうした役割分担で、全体として県外からお金を青森に持って来られればいいのではないかと考えています。特に当社は、販売の面でも、東京をはじめ県外に販路を多く持っています。微力ではありますがそうした形で地域経済に貢献していきたいと考えています。

----自らリンゴ園も運営されています。

 弘前市内の小栗山地区の果樹園で契約栽培をしています。まだまだ量は少なく、全体から見ると、自社のリンゴ園から調達しているのはごく一部です。

 もともとの構想としては、工場も造り、裏の畑からとってきたリンゴを工場で加工する「リンゴ園の中のリンゴ菓子工場」といったものを思い描いていました。子どもさんたちや地域の方が気軽に見学に来て、リンゴ園で過ごしてもらって、というのが理想というか夢でしたが、敷地内に遺跡があることがわかりましたので開発を中断せざるを得ませんでした。

 現在、りんご園では、生食用の「ふじ」と、加工用の「ブラムリーズ・シードリング」という品種を栽培しています。「ブラムリーズ・シードリング」は英国原産の酸味が強いリンゴで、ヨーロッパでは「クッキングアップルの王様」とも呼ばれています。津軽では貴重な品種ですが、この独特の酸味を活かして、アップルパイや「ふわふーる」などに使っています。

■今後の事業展開

----御社は現在、本県をはじめ、秋田、岩手両県に約90店舗を展開しています。今後の事業展開や目標などお聞かせください。

 やみくもに売上げや店舗数の伸びを追求するという意味での拡大は意識していませんが、企業というのは、現状維持は縮小と同じになってしまうんですね。あくまで発展をめざし、堅実な拡大戦略は持ち続けていないとマイナスになってしまいます。

 ですから、卸売専門商品については、青森らしい商品を新たに打ち出していくなど、全国でもっと売れるものを作っていくことが必要でしょう。店舗についても必要に応じて増やしていきますが、青森県内と近県のみで考えています。かつて、チェーン店展開を始めた時、「多店舗化を図った瞬間に希少価値は減る」と言われたものです。しかし当社としては、「うちの商品を欲しいと言ってくださるお客様がいるのであれば、近くまでお届けします」という意識で、各地に店舗をつくってきました。その一つひとつの積み重ねが、現在90数店舗になっているということです。この考え方は今も変わりません。

 商品開発の面では、2015年に北海道新幹線が開業しますので、函館で売れる商品ということは意識しています。県外で喜ばれる商品とするためには、やはりその土地のものをとり入れていくことが大切です。当社では、「ラグノオ秋田シリーズ」、「ラグノオ北海道シリーズ」などその土地の産品を原料に取り入れた商品群をすでに展開していますので、そのノウハウを活かしながら、函館で売れる製品ということも考えていきたいと思います。また、かつて先輩たちが、青森を代表する特産品として菓子にリンゴを取り入れてきたように、現在、青森県が全国に誇る他の一次産品を使った菓子作りも考えていきたいと思っています。