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大いなる田舎なれど
他にない田舎をめざす

■農商工が連携し、ニンニクのブランドを守る
写真
熊谷 和広氏
田子町商工会
会長
1963年、田子町生まれ。1988年、東京総合理容美容専門学校卒業。95年、ビューティーパーラーくまがい入社。2008年より同社代表取締役。2001年、田子町商工会理事。副会長を経て、2012年会長に就任。現在、田子町後継者育成協議会会長等の役職を務める。

----ニンニクに代表される一次産業の町の商工会として、会の役割をどのようにとらえていらっしゃいますか。

 田子町はなんといっても一次産業の町ですから、一次産業の活気がないと、商工業も元気になれません。ニンニクというブランド作物がありますから、そのネームバリューを活かしながら、販売拡大と、いわゆる「6次産業化」に向けて、お手伝いをしていきたいと考えています。

 ただ、ニンニクというのは、どうしても薬味として使われる食材で、バリバリ食べるというものではないわけです。それをどうやって消費拡大していくか。ただネットに入れて販売するだけではない、新しい販売のアイデアや仕掛けを提案していくのも商工会の仕事だと考えています。例えば、田子には「田子牛」というブランド牛もあります。いい肉とニンニクは絶妙の組み合わせですから、このセット販売の方向も模索しているところです。

 またニンニクについては、JAが「たっこにんにく」として地域団体商標を取得していますが、これを活用するとともに、商標を保護していくことも重要です。青森県はどこでもニンニクがありますし、生産量やサイズではもっと大きい産地があるわけですから、田子は品質で勝負しながら、「日本一のニンニク」ブランドを守っていかなければならないと思います。

----ニンニクの販路拡大策として、「一坪オーナー」制度が好評のようですが。

 一坪オーナー制度は、当初は商工会の事業として始まりましたが、その後は、「田子にんにく消費拡大委員会」という町内の有志団体が核となって継続しています。自分で収穫に来てもらうコースのほか、来町できないオーナーのために、こちらで収穫し発送するおまかせコースも用意しています。市販価格よりかなりお得ということもありますが、何より、収穫に来られた方は、本当に楽しんで帰られます。自分で収穫してもらうオーナーで一番遠くから来られるのは愛知県の方、おまかせコースでは長崎県の方もいらっしゃいます。リピーターも多く、私たちにすれば、掘るだけで何がそんなに楽しいのかとも思いますが、こうしたこともまた観光資源になるのだという発見がありました。ですからニンニクについては、それ自体の販売がもたらす効果とともに、町に来てもらうきっかけともなるわけです。このように、いろいろな面で「にんにくの町」の知名度をもっと活用していくべきでしょう。

■個性ある田舎として、活気を取り戻す

----田子町は、自然の美しさを満喫できる空間に恵まれています。また県の「美知の国あおもり“癒し”スポット」に「みろくの滝」「蛇王の松」「ドコノ森」の3カ所が選定されるなど、町の新たな楽しみ方にも着目されています。町の賑わいを高めるため、今後、どのようなことに取り組みたいとお考えですか。

 日本中、都心以外はどこも田舎。自然はどこにでもあるわけですが、その中でも、「大いなる田舎ではあるが、他とは違う田舎である」ということを打ち出していければ、と思っています。

 その意味で、県の「癒しスポット」に3つも選ばれたというのは、田子の個性を売り出していく上で好材料だと受け止めています。「みろくの滝」も道路ができてアクセスしやすくなりましたからタイミングもよかったと思います。ただ、ミステリースポットに選ばれた「ドコノ森」の刻線石が騒がれたのは数十年前。この他にも、わが町は、星空が日本一美しい町に選ばれていますが、これもなんとなく下火になってしまいました。せっかくある資源ですから、これを機に改めて掘り出して、PRしていくべきだと思います。

 また田子町は古くから、三戸郡内はもちろん、秋田の大館、岩手の二戸という地域とつながりが深いので、これらに十和田湖も含めて、広域で観光振興を図っていくことも必要でしょう。現在、岩手県の田老町、山田町と交流していますが、お互いのイベントに参加して、三陸の「海のもの」と田子の「山のもの」を持ち寄り、それぞれの郷土料理やご当地グルメに食材として使用するというコラボレーションも始めました。両町とは東日本大震災前からのおつきあいですが、震災支援を機にこうした交流が活発化していますので、これも積極的に続けていきたいと考えています。

----一方で、景気低迷が続き、特に地方の街は疲弊しています。まちづくり、村おこしの方向、また少子高齢化への対策などについてのお考えをお聞かせください。

 町村部はどこでも人口減少、高齢化の問題を抱えています。田子町も、私が東京から戻ってきた20年前と比べてもほぼ2000人の人口減少となっています。20年で2000人減というと、町の様子、雰囲気はまさに激変しています。そのような状況の中で、現在すべきことは、現状を改めて認識した上で、今あるマンパワーで町の活力を上げていくことでしょう。例えばシルバーのマンパワーはたくさんあるわけですから、そうした人たちの知識や経験を活かす仕組みを考える。一方で、若者も減ったとはいえ、いないわけではないのですから、なんとかこれ以上の流出を食い止める仕組みを考えなければなりません。高校生などに聞くと、私たちの若い頃のように「何が何でも東京行って」という東京志向はそれほど強くありません。むしろ、仕事があって生活してさえいければ町に残りたいという子も多い。これはありがたいことですから、私たち大人がなんとかそれを引っ張り上げてやらなくてはなりません。働き口の確保や、起業できる体制づくり、これが私たちの大きな仕事です。

 また、婚活の支援にも取り組んでいます。田子町の若者は、友達同士はとても仲がいいのですが、他の職場や団体などの人との交流が苦手です。当初、私たちは、よそから町へお嫁さんを連れてくる形の婚活支援を行っていましたが、現在は、若者側からの希望もあり、例えばJAと商工会青年部など、異なる団体の人が一堂に会する場づくりをする形で出会いのイベントを開催しています。もともと知らない顔ではないわけですから、いったん打ち解けてまとまれば結束は強くなります。若者の側からこうした要望が出てくること自体、定住化に向けて明るい材料だと私はとらえています。

----商工会会長としてのふるさと田子町への思い、またご自分が抱いている「夢」を含めて、町の将来への期待についてお話ください。

 もともと田子町は、鹿角街道の宿場町として栄えた町です。物も情報もここを通って流れて行くということで、町にはたいへんな活気があったといいます。私の親の世代には、町の規模にしては、旅館も飲み屋も多く、まだその名残があったようです。交通の要衝として、城下町の三戸とは異なる独特の活気があった。それでいて、地理的には県境、端っこですから、あまり商売の競争も激しくなく、他からの脅威もないということで、人の気性もガツガツしていない穏やかな感じだったようです。

 時代はかわりましたが、そうした活気と、風通しのよい町の雰囲気をなんとか取り戻したいと思います。そのためには、現状をきちんと認識した上で、その中で活用できるマンパワーを最大限に活かしていく、やはりそれが重要なのだろうと思います。

----最後に、ご本業(理容業)での体験、商工会会長としてのお立場から、ビジネスとはこうあるべきといった哲学、信念などありましたらお聞かせください。

 こういう土地ですから、商売は地域に完全に密着しています。みんな顔見知りのようなもので、うちのお客さんは、私の小さい頃も知っている。ですから、ここで一番大切なのは、商売人としてというより、「人」として認められることです。人として誠実さに欠けたことをしていては、絶対にやっていけなくなります。反対に、人として一度惚れられれば、必ず固定客になってくれます。そのためには、ホテルのような丁寧で上品なサービスよりも、例えば「孫様が風邪ひいているそうだけど、大丈夫」といった、心からの親しみを込めた言葉がけができる、そうしたおつきあいが非常に大切なのです。このことは、従業員にもよく話していますし、会議所の仕事でも心がけています。