あおもりびと

五輪目指し高め合う順大体操部員
荒屋敷響貴さん(右)大久保圭太郎さん

2018年6月15日(金)

五輪を目指し、成長を誓い合う荒屋敷さん(右)と大久保さん=千葉県印西市の順天堂大体操競技場

 八戸育ちの2人が、体操の名門でともに世界を目指している。順天堂大学の体操競技部に所属する3年生の荒屋敷響貴さん(20)=八戸三中出=と、1年生の大久保圭太郎さん(18)=根城中出=は、八戸市内の同じ体操教室に通った小学生の頃からの友人であり、ライバル同士だ。

 学年こそ違うが、共に福井県の鯖江高に進学し、荒屋敷さんは選抜大会で個人総合、大久保さんは全日本ジュニアの種目別でチャンピオンに輝いた。そして今春、荒屋敷さんを追うように大久保さんも順大に進んだ。

 順大は2004年アテネ五輪団体金メダルの冨田洋之さん(37)ら、多数のメダリストを輩出。同大の体操競技場は千葉県印西市にある。

 2人は共に身長が160センチ台前半、体重は55キロと背格好は似ている一方、得意種目は異なる。あん馬や床を得意とする荒屋敷さんは本年度、日本体操協会の代表選手に初めて選ばれた。内村航平(リンガーハット)、白井健三(日体大)両選手をはじめ、20年の東京五輪を狙う著名な選手たちと共に名を連ねる。

 ただ、順風満帆な競技人生を歩んできたわけではない。順大へ入学する直前の16年3月、高校最後の練習で床を蹴り上げた時、右膝を痛めた。骨挫傷と亀裂骨折。もともとヘルニアを患っていた腰の手術も行ったため、入学早々、1年間の離脱を余儀なくされた。

 傍らで先輩らの練習を眺める日々。「息苦しくて練習場にいたくない、体操をやりたくないと思った」(荒屋敷さん)

 一方で新たな発見もあった。仲間の動きを観察し続けると、強い選手は周囲の雑音に惑わされない集中力、精神的な丈夫さが人一倍高いことに気付いた。そのうち、「自分もはい上がりたい」との思いを強くした。

 その頃、大久保さんは得意の跳馬を武器に高校体操界で活躍。日本一になり東奥スポーツ賞を獲得した中学時代から実力は同世代の上位だが、荒屋敷さんが出場する大会では「一度も個人総合で(荒屋敷さんに)勝ったことがない」という。

 2人の次戦は30日開幕の全日本種目別選手権。あん馬など出場する荒屋敷さんにとって、世界選手権(10~11月・ドーハ)や五輪の代表選考につながる重要な大会だ。跳馬で出場権を得た大久保さんは高難度技「ロペスハーフ」に挑戦するため特訓を重ねる。

 大学で再び仲間となり、荒屋敷さんは「格好悪いところは見せたくない」と笑う。一方で「中学からずっと目標(の存在)だけど、いつかは勝ちたい」と大久保さん。互いに高め合う2人は、五輪という同じ夢を描いている。

「夢」持つ大切さ説く県出身者の経営者団体「AOsuki」会長
須藤 公貴さん(黒石出身)

2018年5月18日(金)

「『青森』が好き」と印字された「AOsuki」Tシャツを手にする須藤さん=東京都内

 修学旅行で東京を訪れる青森県の中学生たちに、夢を持つ大切さを説く。須藤公貴さん(36)=黒石市出身=が代表を務め、青森県出身者でつくる首都圏の経営者グループ「AOsuki(あおすき)」は年に数回、修学旅行生に職業講話をする活動を続けている。

 ウェディングプランナーやIT企業社長、官僚など、会員の職種は多彩だ。4月は戸山中(青森市)など2校に講話する機会を持った。「今は好きなことをやったらいい」。古里の中学生たちを前に、代表者としてあいさつする須藤さんの語りにも熱が帯びる。

 AOsukiは2008年に発足。会長は須藤さんで3代目だ。活動の柱である職業講話は13年、青森西中からの問い合わせで始まった。講話を受けた生徒たちから後日、手紙が届いたことでつながりができ、次は須藤さんが自ら同校に足を運んで熱弁を振るった。

 講話を通じて「明るくなった生徒もいる」と耳にし、「プラスの反響があるなら続けよう」と仲間内で申し合わせた。これまでに8校の修学旅行生に夢を語ってきた。

 「将来、東京においで、とは一切言わない。大人になることの楽しさ、夢を持つことの大切さを伝えたい」と須藤さんは力を込める。

 自身の夢は幼い頃から「社長」だった。小学1年で親に「社長になる」と宣言した通り、25歳で起業し、インターネット広告会社を始めた。

 現在は県産リンゴのネット通販サイト「りんご侍」を運営している。サイト上に登録されている農家のリンゴや加工品を消費者が吟味し、気に入った農家から商品を買える仕組みをつくった。珍しい品種を含め26種類を販売し、会員は約千人にまで増えた。

 社長宣言をした小1で始めたアルペンスキーは、国体出場の腕前を持つ。スキー仲間にリンゴ農家が多くいたことから「彼らと一緒に仕事をしたい」と考え、自分の得意なITとリンゴを融合した仕事を編み出した。

 最近はドローンでの撮影・映像編集を手掛け、テレビ局からも声が掛かるという。活動の幅をどんどん広げる一方、「本当は息子のために人生をささげるパパになりたい」と真顔で言う。

 小学4年の息子はスキーにのめり込み、冬になると毎週、親子で長野県などのスキー場まで行く。「息子の夢は既に『ワールドカップ優勝』。その夢に一番近い場所で寄り添いたい」。いくつになっても夢に終わりはないようだ

保育所開設にまい進インドネシアでの事業担当(ヒューマン社)
松橋 希さん(八戸出身)

2018年4月20日(金)

「インドネシアでナンバーワンの保育所を目指します」と意気込みを語る松橋希さん=東京都新宿区のオフィスで

 「何かで悩んでも一晩寝れば吹っ切れるタイプ。行く前からあれこれ心配しても仕方がない。行けば何とかなると、前向きに考えています」

 自他ともに認めるポジティブ人間。はじけるような笑顔で語るのは、八戸市出身の松橋希(のぞみ)さん(39)だ。教育や人材育成、介護事業などを展開するヒューマンホールディングス(本社・東京)の海外事業推進室で、同社がインドネシアで始める保育事業の責任者を任されている。

 八戸東高校から福祉系専門学校に進学。卒業後は都内の介護施設で働き、認知症の高齢者と接するうちに、介護の仕事に楽しさとやりがいを見いだしたという。

 「認知症の方たちの言葉や行動に、その人の生きてきた証しのようなものが見えるんです。会話をして、その方たちのワールドに入れるのが楽しくて。もちろん体力的なきつさはあったけど、認知症の方と関わり、癒やされることが多かった」

 介護福祉士として3年半ほど勤めたころ、体の不調でいったん、介護職を離れる。回復後、「これまでの経験を生かして海外で仕事がしたい」と、2015年にヒューマングループに入社。グループの介護事業法人を経て、念願の「海外での仕事」を得た。介護の仕事とは異なるが、7月の保育所開設に向け、忙しくも充実した日々を過ごしている。

 インドネシアは人口が2億5千万人超で、世界第4位。若手の労働力が増えるのと同時に女性の社会進出も進み、子供を預けて働く女性が多くなってきたが、「その半面、保育や幼児教育に関わる法整備が進んでいません。働く親が安心して子供を預けられる施設が十分ではないのが現状です」と松橋さん。

 ヒューマングループは病院内や大学内を含め国内25カ所で保育所を運営している実績があり、インドネシアでも日本式の教育法を取り入れた保育所運営を行う。現地採用のスタッフ育成も重要な仕事だ。保育所は20年までに20カ所に拡大する計画という

 今後はインドネシア滞在が長くなりそうだが「言葉は住めば覚えていくかな、と。治安など不安がないわけではないけど、行けば何とかなるでしょう」とあくまでも前向きな松橋さん。「今は与えられたミッションを成功させることが第一。そして、インドネシアでナンバーワンの保育所を目指します」と目を輝かせる。

経験を古里のためにUターンする元青年海外協力隊員
石山 紗希さん(青森出身)

2018年3月16日(金)

「学生と地域の接点を増やせば、地域に残りたいと思う若者が増えるはず」と話す石山さん

 2012年2月、弘前大学農学生命科学部4年だった石山紗希さん(28)=青森市出身=の元に、1通の封書が届いた。念願の、青年海外協力隊の合格通知だった。「やった! 合格だ」。派遣国は「ガボン」。地図帳を開き、アフリカの赤道直下にある国だと、初めて知った。

 大学では海外に興味を抱き、アルバイトでお金をためて長期休みのたびに旅行した。3年の春休みには、青年海外協力隊としてシリアでリンゴ栽培指導に当たった弘大OBとの縁で、シリアにも行った。そこで現地住民と信頼関係を築きながら活動するOBの姿を見て、協力隊への関心が強くなった。

 多少は就職活動もしたが、思い切って協力隊を志願。2度目の応募で合格できた。

 ガボンには農業指導の名目で派遣されたものの、産油国のため、食料は輸入頼み。「農業局に配属されましたが、同僚は朝から酒を飲んで働かない。何度けんかしたことか」。黙っていても仕事がないので、自ら小学校に出掛け、子どもたちと一緒にコメ作りをしたり、病院に出向いて患者と土を耕したりした。

 2年の活動を終えて帰国。現地では自分のアイデンティティーを意識する場面が日常的にあったことから「青森について考えることが多くなった」。そして「やっぱり青森が好きだ、と再認識しました」。最終的な着地点を青森に定めた。

 そのころ、次世代リーダー育成や起業家支援に取り組むNPO法人「ETIC(エティック).」のことを知った。募集要項に「1~5年働いた後、自分の地域で活動したい人」といった表現があり、3年後に古里に帰る、という自分の思い描く働き方ができそうだと考えた。

 同法人では、地域の企業と首都圏の人材を結び付けるイベントの事務局などを務めた。全国を歩いて数々のまちおこしのモデル事例に触れ、人のネットワークもできた。

 予定通り3年間の「修行」を終え、4月に弘前市にUターンする。これまでの経験を生かし、地域の事業者と若者をつないだり、地場産業振興に一緒に取り組むようなコーディネーター的な役割を担おうと考えている。

 「青森県は面白い人、面白いものが多いのに、県外の人に知られていないのが悔しいし、もったいない。地域を元気にする仕事がしたいです」。明るいまなざしで、きっぱりと宣言した。

県産食材は「宝の山」イタリアンシェフ
中田 淳さん(弘前出身)

2018年2月16日(金)

十和田ガーリックポークに包丁を入れる中田さん。本県出身の常連客も多いという

 明治神宮に近い小田急線参宮橋駅(東京都渋谷区)を降りてすぐの場所にあるイタリアンレストラン「IL VISCHIO(イル・ヴィスキオ)」。駅前の騒がしさはなく、落ち着いた雰囲気で本格料理が楽しめる。本県産の食材を多用するオーナーシェフの中田淳さん(46)=弘前市出身=は「青森は肉も野菜もいいものがそろう宝の山。もっと多くの人に分かってもらえるように手助けしたい」と故郷への思いを込める。

 中学生のころ料理に興味を持った中田さん。弘前高校卒業後に進んだ辻調理師専門学校(大阪)で、今やテレビでもおなじみのイタリアンシェフ落合務さんと出会った。「シンプルなのにめちゃくちゃおいしい」落合さんの料理に魅了され、専門学校を出ると迷わず、当時落合さんが働いていた東京・赤坂のレストランに就職。1999年から2年半のイタリア修業を経て、2013年4月、イタリア語で「宿り木」を意味する「IL VISCHIO」をオープンさせた。

 「手を掛けすぎない、ナチュラルなイタリア料理」を売りにする店は、競争の激しいエリアで徐々に評価が高まった。お客の勧めで県産食材を使ったのはオープン2年目のころ。生産者や行政関係者から口づてに知った新たな食材を次々と試し、「気付けば青森県産だらけになった」。十和田ガーリックポーク、青森シャモロック、シードル…。ハーブなどの野菜も多くが県産品だ。

 看板料理のカルボナーラを引き立てるのも田子町産の卵。「味が濃くてしっかりしている。生クリームを使わないので、卵本来の味を楽しめます」と中田さんは話す。全食材に占める県産の割合はオープン当初1割に満たなかったが、今は8割程度まで上がったという。

 「これだけおいしいものがたくさんあることに驚きました。リンゴとニンニクだけじゃないことを多くの人に伝えたい」と中田さん。故郷への思いは年々強まり、県産食材を使ったレトルト食品の商品化も手掛けてみたい-と意欲的だ。「東京で店をやっているからこそできる貢献がしたい。青森と関わり続けるのが目標です」

地域密着の情報発信夫婦2人で出版社
成田希さん(青森出身)

2018年1月19日(金)

「めご太郎をきっかけにつながった人たちと、何かイベントをしたいですね」と成田さん=横浜市の伊勢佐木町

 横浜市中区の関内駅に降り立つと、目の前に伊勢佐木町商店街。一角に立つのがイセビルだ。関東大震災後、焼け野原だった街に建てられ、築年数は90年超。横浜の地域情報誌を発行する「星羊社(せいようしゃ)」は、そのビルの4階に事務所を構える。

 編集長は青森市出身の成田希(のぞみ)さん(33)。と言っても、スタッフは成田さんと、社長兼発行人で夫の星山健太郎さん(39)だけ。たった2人で、取材から執筆、編集、営業までフル回転している。

 成田さんはもともと、出版関係の仕事に進むつもりはなかったという。青森高校を卒業後、横浜市内の私立大学に進学した。弁護士を目指し法科大学院に進んだが、司法試験の壁は厚く断念。「次に何をしようか、と考えた時、一番身近にあったのが飲み屋街でした」と振り返る。大学院で知り合った星山さんは横浜出身で、地元の酒場に詳しかった。試験勉強の合間の気分転換に一緒に飲み歩くうち「飲み屋さんに知り合いが増えていって。地元愛にあふれた人が多かったんです。そうした人を通じて、街の魅力に触れ、横浜の歴史や文化を知るようになりました」。次の道にそれらが生かせるかも、と考えた。

 2009年から横浜の小さな出版社に勤めたり、フリーライターとして活動。13年、同じように次の道を模索していた星山さんと事務所を探したところ、イセビルに空きが見つかった。

 「横浜のシンボル的なビルに入居したことが、方向性を決めたのかも」(星山さん)。同年8月に星羊社を設立し、12月15日に横浜の情報誌「はま太郎」第1号を発刊。創刊日に婚姻届を出したんです-と、照れながら明かしてくれた。

 「はま太郎」には市民酒場と呼ばれる大衆的な店や、そこを行き交う人々が魅力的につづられている。イラストは「外注する余裕がなくて」と、成田さん自ら手掛け、絶妙な味わいを醸し出す。

 昨年12月には、青森市をテーマにした「めご太郎」を刊行した。「はま太郎」同様、「店の紹介というよりは、そこで繰り広げられる人の営みにスポットを当てています」と成田さんは言う。

 「出版不況と言われますが、地元に根差した情報は地元の人が興味を持ってくれる。これからも人のつながりを大切に、丁寧な仕事をしていきたいですね」

  • 五輪目指し高め合う

    2018年6月15日(金)

  • 「夢」持つ大切さ説く

    2018年5月18日(金)

  • 保育所開設にまい進

    2018年4月20日(金)

  • 経験を古里のために

    2018年3月16日(金)

  • 県産食材は「宝の山」

    2018年2月16日(金)

  • 地域密着の情報発信

    2018年1月19日(金)

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