太竜寺山(徳島県・高さ618メートル)
信仰集める「西の高野」/丁石残る最古の遍路道
 
マップ 登山の前半、竹林の中をしばらく登っていく。緑一色の不思議な景色だ=徳島県阿南市

 唐から真言宗を伝え、高野山や四国霊場を開いた弘法大師空海。19歳のとき、徳島県南東部の太竜寺山(たいりゅうじさん)で修行したとされる。山頂近くに四国霊場21番札所・太龍寺があり「西の高野」と呼ぶ人もいる。

 登山道は6本。空海が選んだルートは分かっていないが、興味深い道が1本ある。登り口に「空海が一宿した」と伝わる一宿寺があり、道沿いに14世紀の道しるべ(丁石(ちょういし))が残る「かも道」だ。

 「自然が豊かで最古の四国遍路道」。登り口の横に住む高谷英喜さん(61)が見送ってくれた。いきなり急坂。玉の汗が噴き出た。竹林の中、長年踏み込まれて深く掘れた道が歴史を感じさせる。「しかし、こんな道が5キロ近くも…」と思ったが、やがて緩やかに。

 路傍に立つ石の柱に気付いた。薄い灰色っぽい花こう岩でできた丁石。太龍寺までの距離などが刻まれている。20基が残っているという。

 「子どものころ、太龍寺で食べる米などの生活物資は人が担いで運んでいた」。高谷さんの言葉が思い出され「荷物の少ないハイキングでは苦しいとは言えない」と苦笑した。

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 出発から約1時間半で別の登山道との交差点に着いた。やがて風格ある仁王門が現れた。太龍寺の建物で最も古く、鎌倉時代の作という仁王像は徳島県内で最大最古だそうだ。

 境内では立派な杉木立が趣のある建物を取り囲んでいた。現在は南西麓からロープウエーで楽に参拝できるが、1852(嘉永5)年に建てられた本堂を見ると「こんな山奥でどうやって造ったのか」と信仰の力を思い知らされた。急な石段を下るとロープウエーの駅舎があった。

 「阿国太龍嶽にのぼりよじ…」。空海の著作「三(さん)教(ごう)指(しい)帰(き)」には、こう書かれている。記憶力を増し判断力を付ける秘法を修行した岩場が目の前に現れた。切り立つ断崖の上に高さ2.5メートルの空海の銅像が鎮座し、明けの明星が現れる東方を見据えていた。

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 寺の南にある頂上は、北側に景色が開け、山名を記した標識があった。訪れる人の多くは太龍寺が目的地のため、足を延ばす人は少ない。

 下りは東へ進む「いわや道」を選んだ。麓まで5キロ余り。入り口に「午後2時以降、入らないで」と書かれた看板があった。下山は特に転倒や道迷いを防ぎたい。

 下る途中、所々で林が途切れ、展望に恵まれた。廃屋と棚田によって人里が近いことを知ると、やがて国道195号の近くに出た。登山中、事故に遭わなかったことを空海に感謝しながら、一宿寺まで戻った。半日の山旅だった。

(徳島新聞社)

旅メモお松大権現 受験の神様
太竜寺山の登山口の近くにあるお松大権現。受験合格の御利益があるとされ「猫神さん」の愛称で親しまれる=徳島県阿南市

 太竜寺山のかも道登山口の近くに、受験合格の御利益があるとされ「猫神さん」の愛称で親しまれるお松大権現がある。

 同大権現によると、江戸時代、近くに住むお松が奉行の一方的な裁きを受け処刑された。その後、彼女の飼いネコが妖怪となって奉行の家などをたたり、お松のあだを討つ。村人がお松を哀れんで祭った。

 境内の奉納棚には白や黒、金色など多彩な招き猫が約1万体並ぶ。奉納が始まったのは明治初期でネコ好きだったお松の霊を慰めるためだった。昭和初期からは、あだ討ち成功にあやかって、必勝祈願をする神社として有名になった。

 戦後、受験生らが社殿に祭られた招き猫を持ち帰り、祈願成就後にもう1体の招き猫を添えて返すという風習が生まれ「受験の神様」として定着している。

 JR徳島駅から阿南駅まで約1時間。阿南駅から加茂谷行きのバスに乗り、終点で下車。所要23分。登山口まで徒歩約10分。