あおもり昆虫記
チョウトンボ

 「チョウトンボが、いっぱいいるよ。ヤナギの木にわんさか止まっているよ。ものすごい数だ」。虫友のTさんが、自慢気に教えてくれた。2003年初夏のことだった。場所は、津軽半島のある沼。前年、ここを訪れたTさんは、チョウトンボの群舞乱舞を見て感動した。その状況をわたしに教えてくれたのだった。

 南方系のチョウトンボは、もともとは青森県にいないトンボだった。飛んでいる姿を見る観察例は年に1、2度ある程度だった。南の地域で成虫になったものが、青森県に気まぐれで飛んできた程度に見られていた。

 それが、2000年ごろから、様相が変わってきた。2000年7月、三沢市仏沼湿地で、県内で初めて、チョウトンボの生態写真(生きて止まっている姿をとらえた写真)が撮影され、トンボ研究家たちを驚かせた。その後、津軽半島のある沼でも飛んでいるのが見つかった。そして、どうやら、その沼で繁殖していることも分かった。いないはずのトンボが、青森県内で繁殖・分布している−生物学的に大変なニュースだった。そして、Tさんがその沼で、大量発生しているチョウトンボを見に行った、というわけだ。

 わたしは青森県でチョウトンボを見たことはなかった。Tさんの熱弁に心を動かされた。で、2003年7月上旬、これも虫友のMさんと3人で、その沼にチョウトンボ見物に出かけた。が、シーズンが早すぎたせいか、チョウトンボの姿はまったく無かった。「暑くなれば、チョウトンボはわんさかわんさか出てくるさ」。Tさんは、のんきに言う。Tさんは「わんさか」が口癖なのだ。

 そうだな、暑くなれば出てくるよな。わたしはそう思い、7月中旬、その沼を再訪した。しかし、チョウトンボはいない。「ん?」と思い、7月下旬、また訪れた。それでもチョウトンボはいない。「ん? ん?」と思いながら、8月にも訪れてみた。それでもチョウトンボはいなかった。ほかのトンボはいっぱい飛んでいるのに、チョウトンボだけがいない…。

 空振り4回。さすがに変だなあ、と思い、Tさんに聞いてみた。「何回行ってもチョウトンボはいないよ。わんさかわんさかの話は、どうなったの?」と。いつも元気いっぱいのTさんの声が湿りがちだった。「どうやら今年は、チョウトンボが発生しないというんだよ。寒いからかなあ…」。たしかに2003年は記録的な冷夏だった。わたしは力が抜けた。

 そのとき「ん?」と思った。2003年に発生しないということは、親がいないのだから2004年以降もチョウトンボは現れないおそれがあるのでは…と。Tさんも「そうだよなあ、そういう理屈になるよなあ…」と冴えない表情だ。わたしのチョウトンボ撮影も幻と終わるのか。そう思っていた。

 2004年7月。Tさんから情報が入った。「沼で、チョウトンボがわんさかわんさか産卵しているよ〜。チョウトンボは元気だよ〜。村上さん、うずうずしてきたでしょ!」。2003年は発生していない、といわれても、人の目に触れない数が発生し、ちゃんと卵を産んでくれていたのだ。よかった、よかった。

 Tさんにけしかけられたわけではないが、わたしはいても立ってもいられず2004年の7月中旬、沼を訪れた。しかし、Tさんが教えてくれたポイントを中心に探しても、チョウトンボは一向に姿を現さない。おかしいなぁ…昨年の悪夢がよみがえる。

 2時間ほど探してもいなかったためあきらめて、場所を変えようか、と車を止めている場所に戻ったちょうどそのときだった。ショウジョウトンボの群れの中に、羽が黒い異質なトンボが、ひらりと現れたのだ。昨年来、追い続けてきたチョウトンボがついに現れたのだ。「ひらり」という言葉がぴったりな雰囲気で。

 ショウジョウトンボのように直線的に飛ばない。すこし羽ばたいては、グライダーのように風に乗り滑空する。雅(みやび)なのだ。品があるのだ。「飛ぶ」というより「舞い」なのだ。なぜか、わたしの前や上空を何回も行ったり来たりする。たまに枝先に止まってくれる。写真が撮りやすいように、と開いた羽をこちらに見せてくれる大サービスだ。

 「ん?」。チョウトンボの舞いを見ていて、疑問が頭をかすめた。このチョウトンボは、他の場所に行かないのだ。同じ場所をゆったりゆったり滑空しているのだ。別の場所に飛んでいったりしないのだ。時計を見ていないから正確なことは分からないが、おそらく20分〜30分は、わたしの目の前で舞い続けてくれたのではないだろうか。

 これはチョウトンボの特性なのかもしれないが、わたしは「昨年、4回も空振りだったので、昨年の分もたっぷり舞いを見せてくれているのではないか」と勝手に思い込むことにした。途中からもう1匹飛来し、2匹でわたしに舞いを見せてくれた。世俗を離れた白日夢のようだった。

 ことし、チョウトンボがこの沼から発生したことを素直に喜びたい。しかし、と思うこともある。これまで青森県にいなかったチョウトンボが北上してきて、なぜ定着しつつあるのだろう、と。これが、地球温暖化のひとつのシグナルだとしたら、ノー天気に素直に喜べないなあ、と。

 青森県のチョウトンボが、これからどのような消長をたどるのか、は分からない。このまま青森県に定着してくれればトンボファンとしてはミーハー的にうれしいし、いずれ青森県から姿を消しても「本来の姿に戻ったんだろうな」と思い、ホッとするだろう。そんな、複雑な気持ちでいる。

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