あおもり昆虫記
クロスズメバチ

 バクダン、というとカゲキハ。この因果関係は以前からあったが、天皇即位の礼の警備のとき、最も当局が神経をとがらせ、その緊張ぶりは日本全国に伝わった。最近はその手の事件はあまり起こらなくなり、喜ばしい。

 が、物騒なバクダンもかつては子供たちのおもちゃだった。2B弾。この名を知っている人は多い、と思う。知っているのは中年のオジサンたちだ。極彩色の模様に彩られた長さ約10センチの細い円筒形の紙筒。中に火薬が入っている。先っちょにマッチの頭のようなものがついており、マッチ箱の横で擦ると点火し、バーンというとんでもない音とともに爆発する。はやったのは、昭和30年代半ばごろだった。

 わたしは良い子だったから、この2B弾を駄菓子屋で買ったことはなかったが、近所の子供たちはよく買い求め、あたり構わずバン、バンと鳴らしたものだった。

 音を出すだけという全く芸のない遊びに飽きた悪ガキたちはある日、悪ガキならではのアイデアを考えついた。「2B弾をクロスズメバチの巣にぶち込もう」。当時わたしたちは、クロスズメバチの名も、このハチが土中に巣を作ることも、巣がどこにあるのかもみんな知っていた。当時はジョーシキだったのだ。テレビもゲームも無かったから、このようなことを知ることが遊びだったのだ。

 わたしもこの悪だくみに加わり、巣へ出掛けた。1人が2B弾を2〜3本まとめて擦り、巣穴に入れ数メートル後ずさった。間もなくバーンという大音響。が、そのあと展開される悪夢をだれ1人として予想はしていなかった。怒り狂ったクロスズメバチの群れが地中から沸き上がり、猛然とわたしたちに襲いかかったのだ。

 恐怖に顔をひきつらせ、逃げて逃げて逃げまくった。ドジな1人がつまずき倒れたおかげで、ハチの群れは彼を集中攻撃し、わたしらは辛うじて難をのがれた。不幸を一身に背負った彼は無数に刺され泣きわめいたが、死ななかったのは、いま考えてみても不思議だ。

 このハチの幼虫がハチノコという珍味であることを知ったのは、それから何年もたってからのことだった。大きな巣であれば、1つの巣に1万匹を超える幼虫が詰まっているという。山村の貴重なタンパク源だったのだろう。

 さて、こどものときクロスズメバチに襲われたが、ドジな子1人が犠牲になり、わたしは救われた話を書いたが後年、そのわたしも襲われたことがある。1997年7月、白神山地摩須賀岳に登ったときのことである。

 わたしは「あおもり110山」(青森県内の山110座に登り、山の紹介記事を書く連載企画)の取材で、友人らと摩須賀岳に登った。道が無く、白神山地の山々の中でも、最も登りにくい山のひとつである。なんとか山頂に立ち、下山を始めたが、ルートに選んだ尾根が激しく急斜面だった。

 くたびれ、尾根の途中で休んでいたら、突然、太ももに強烈な痛みが走った。「ん?」と思って辺りを見回したら、クロスズメバチが数匹、私たちの周りを飛び回っている。みんな、次々に刺された。合羽ズボンを履いていたが、ハチのその上からも構わず刺す。

 「いててて!」。みんな、悲鳴を上げた。それぞれ5−6カ所刺されてしまった。きっと巣の近くでわれわれが休憩したため、ハチが怒って襲ったのだろう。わたしたちは慌てて、急な尾根を枝につかまりながら下降し、ハチから逃れた。必死だった。

 が、災難はまだ終わらなかった。とんでもないことがわたしたちを待ち受けていた。急な尾根を下降していったら、突然尾根が無くなり、崖が現れたのだ。「うううう…」。一同、声もなく立ち尽くした。

 さて、どうするか。崖を下るか、引き返して別な尾根を下るか。しかし、引き返すにも途中にクロスズメバチの軍団が待ち構えている。

 崖を選ぶか、ハチを選ぶか。究極の選択にわたしたちは悩んだ。そして選んだ結論は崖だった。ハチに刺されるより崖のほうがいい、と考えたのだ。草につかまり、怖い思いをしながらその崖を下降し、難局を脱したが、そのとき思ったのは、こどものときクロスズメバチに襲われたことだった。

 「こどものときは、ドジな奴が犠牲になって刺され、わたしは難を逃れたが、今度はわたしが襲われた。天の神様はよく見ている。みんな平等に刺されるようにしたんだなあ」。そんなことを思い浮かべた白神山地ブナ原生林の夕暮れだった。

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