あおもり昆虫記
ツチイロキリガ

 研究者にとって珍しい昆虫には、それが美しいものであれ地味なものであれ、一種独特な感情を持つものらしい。わたくしは2005年から、青森市に住むガの研究者・佐藤博さんと一緒にガの写真撮影に取り組んでいるが、佐藤さんは毎年秋になれば決まって「ツチイロキリガを撮ろう」と熱っぽく話し、十和田市(旧十和田湖町)の高原に通ってきた。

 このツチイロキリガ、かなり珍しいガという。本州に分布するが、産地は局地的で、東北北部(早池峰山麓、岩手県岩泉町など)と飛騨山脈周辺の高地(黒部谷、高瀬川上流部、上高地、岐阜県の平湯など)に限られており、いずれも少ない。ツチイロキリガが青森県で初めて発見されたのは1979年10月のこと。採集者が、旧十和田湖町の高原にあった工事現場事務所の前の水銀灯の下に落ちていたガを見つけ、名を調べてもらうため、佐藤さんのところに持ち込んだのが最初だった。

 青森県初記録に驚いた佐藤さんは早速、ガの仲間と二人、ツチイロキリガの発見現場の高原に向かった。佐藤さんはこのときツチイロキリガを1匹採集、さらに2日後には3匹採集した。結局、佐藤さんは79年に4匹、81年に2匹、82年に1匹を同高原で採集したが、その後、ツチイロキリガはこつ然と姿を消し、何回か同じ場所で採集を試みても空振りばかり。いないとなると、がぜん、気になってしょうがない。ツチイロキリガへのおもいは、募っていった。

 2005年。わたくしが佐藤さんと一緒にガの撮影に取り組むようになった最初の年。佐藤さんが「非常に珍しいツチイロキリガを狙おう」と誘った。激超珍品につられたわたくしは「行く、行く」と二つ返事。こうして同年9月24日、かつてツチイロキリガを採集した同じ場所に灯火採集の道具を設置し、「激超珍品」の飛来を待った。ところがこのとき、光に誘われてやってきたのは、なんとケブカマグソコガネ1匹だけという惨憺たる結果。気を取り直し、同じ場所で同年10月9日に再び採集を試みたが、このときも、ガは15種類ほど飛来したが、お目当てのツチイロキリガは、訪れずじまいだった。

 「やっぱり、いなくなったのだろうか。牧場の拡張で、草原を取り巻く林がかなり縮小し、昆虫の生息環境が大きく変わったので、いなくなったのかもしれない。いや、まだどこかにひっそりといるのかもしれない」。気になると、確かめずにはいられない。ましてや、珍種。こうして、05年、06年、07年と秋に6回、同じ場所に通って灯火採集に挑戦したが、空振り続き。ツチイロキリガは、まったく現れなかった。

 そして2008年。執念を燃やす佐藤さんは「ツチイロキリガに挑戦しよう」と誘ってきた。「えーっ、また来ないよ。八甲田の夜道運転は億劫だ」と逃げを打つわたくし。しかし佐藤さんは「ツチイロキリガ狙いは、今回で最後にするから」とわたくしをくどき落とし10月13日、これまでと同じ場所に、灯火採集をするための白布と電球をセットした。

 「来た、来た、来たーっ!」

 明かりをつけて間もなく、佐藤さんが絶叫した。わたくしが状況を飲み込めず、「ん?」と佐藤さんを見ると、ガを指さしながら「ツチイロ(キリガ)だ、ツチイロ。やっぱりいたんだあ!!!」。まだ、午後5時台。どの虫よりも先に飛来したため、わたくしはまだカメラをセットしていなかった。佐藤さんの興奮につられ、逆上したわたくしは、ガにレンズを向け、何枚か撮影したが、すぐに露出をちゃんと設定していなかったことに気づいた。激超珍品が26年ぶりにあらわれたというのに、撮影に失敗するとはなんたる不覚。ところが、気持ちが落ち込む間もなく、2匹目が飛来した。「おーっ、また来た、また来た」。佐藤さんは再び雄たけび。こんどはわたくし、落ち着いて撮影することができた。

 興奮はまだまだ続く。次から次へと「いなかったはず」のツチイロキリガが飛来するのだ。その都度、佐藤さんは満面の笑みで雄たけびを繰り返す。結局この夜に飛来したツチイロキリガは雄4匹、雌2匹の計6匹。それもわずか30分ほどの間に。26年ぶりにツチイロキリガに再会した佐藤さんはしみじみと言った。「やっぱり、いたんだ。環境が変わっても、しぶとく生きていたんだ。それにしても、毎年同じ時季に挑戦してきたのに、今までどうして現れなかったのだろう。ちょっとしたタイミングなんだろうな。これが自然の不思議というものかもしれないな」

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