あおもり昆虫記
ミツモンケンモン

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飛来したミツモンケンモンを指さして喜ぶSさん(2005年7月、五戸町で。写真をクリックすると大きく見られます)
 昆虫研究家にとって、一番琴線に触れる言葉は「新種」だろう。世界の中で、その虫を自分が初めて採集し、新種として登録され、おまけに、自分の名に由来する学名(世界共通の名。ラテン語で書かれる)がつけられる、となれば、これに勝る誇りは無い。程度の濃淡こそあれ、昆虫研究家のほとんどは、「新種」を常に意識している。

 新種ほどのインパクトは無いものの、「超珍種」「絶滅種」あたりも、新種並みの関心事となる。昆虫研究家は「珍種」「絶滅」という言葉にも、敏感に反応する。この「ミツモンケンモン」もそれに当たる。

 ミツモンケンモンが日本で初めて発見されたのは、第二次世界大戦さなかの1944年、岩手県盛岡市で、だった。その後、岩手県、栃木県、群馬県、長野県で局所的に記録されたが、いずれの地でも1970年代以降は姿を消してしまった。絶滅したのか。“幻のガ”になってしまったのか。

 そのような中、1991年、青森県五戸町の里山の沢筋で1匹のミツモンケンモンが発見された。同地一帯で行われた環境調査の一環としてのライトトラップが設置され、その明かりを目指して、“幻のガ”ミツモンケンモンが飛んできたのだった。この記録は、論文に残された。

 それから4年後の1995年、こんどは栃木県市貝町で1個体が採集され、ミツモンケンモンはいよいよ“幻のガ”ではなく、“現実のガ”として認識された。このとき、産卵・飼育が研究者の手で行われ、その結果、幼虫の形態や、クロウメモドキが食草であることが明らかになった。

 ガ研究家のSさん(青森市)は、ミツモンケンモンにあこがれていた。何としても、自分で見つけ、生態を明らかにしたい、そう思い続けていた。1991年の五戸町での記録、1995年の栃木県での記録などをもとに、「こんなところにいるのではないか」と、あたりをつけ2004年、五戸町の里山の沢筋で灯火採集をした。

 なんとそのとき、3匹のミツモンケンモンが飛来したではないか。「狂喜乱舞なんてもんじゃない。何10年も憧れの的だった。それを自分で採集できたなんて」とSさん。記憶は今でも鮮やかによみがえり、そのときの情景を語る口調は興奮気味だ。

 どのような環境にミツモンケンモンがいるのか、おおよその雰囲気が分かったSさんは翌2005年、五戸町の別の里山の沢筋で灯火採集を試みた。読み通り、ミツモンケンモンは、そこでも3匹飛来した。このときの採集に筆者も同行したが、Sさんや、一緒にいた同好のMさんの興奮ぶりといったらなかった。

 このとき、ミツモンケンモンはSさんたちの間で「8時半のガ」というニックネームがつけられた。昔、プロ野球の読売ジャイアンツの抑え投手に宮田制典選手がいて、リリーフ登板する時間が決まって午後8時半。このため、彼は「8時半の男」と呼ばれたが、それをもじって「8時半のガ」というわけだ。その理由は、2004年に初めて採集したとき、1匹目が飛来したのが午後8時半、そして2005年に1匹目が飛来したときも午後8時半だった。2005年のときは「前年8時半に来たから、ことしも8時半にくるんじゃないかな」と言って期待して待っていたところ、ホントにそうなったため、二重の驚き。午後8時半から30分おきに飛来するたびに、Sさんたちの歓声が、里山の沢筋に響いたものだった。

 こうしてSさんの2004年から3年間の調査で、ミツモンケンモンの青森県内の新たな産地や食草・生態を確認することができた。いま、日本で、確実に「里山のガ・ミツモンケンモン」を見ることができるのは、五戸町だけである。Sさんの執念の賜物である。

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