あおもり昆虫記
ヒメギフチョウ

 チョウの愛好家たちがヒメギフチョウに向けるまなざしは、ただならぬものがある。「春の女神」「スプリング・エフェメラル」(春のはかない命)という最大級の形容詞をつけあがめたてまつり、採集し、飼育し、そして途方もない労力を費やし羽の模様などの研究をしている。

 なぜか。春一番に現れる美しいチョウだからではないだろうか。

 わたしは、そんな愛好家の方々の気合いに気圧され、ヒメギフチョウをずっと関心の外に置いてきた。しかし1988年、どうしても見たくなり、平賀町の友人YKさんに連れて行ってもらった。そこは、ヒメギフチョウの産地として知られている平賀町の矢捨山山ろくだった。

 YKさんはポイントをよく知っていて「ここにヒメギフが集まってくるんだよ」と言いながら案内してくれた。丘に立つなり、数匹のヒメギフが目に入った。小ぶりのアゲハチョウ。黒と黄の縞模様。力強くもなく、かといって弱々しくもなく、うららかな春の日ざしの中を飛んでいる。飛ぶコースはほぼ決まっていて、時々、雄同士が絡み合い、お互いの縄張りを主張している。すこし遅れて訪れたため、チョウの動きはすでに活発で、なかなか羽を休めてくれない。カタクリの花の蜜を吸うため止まったところを、ようやくフィルムに収めた。

 虫好きになって30年後に初めてヒメギフを見たのは、わたしぐらいのものだろう。遅すぎた初対面だったが、第一印象は「あっ、いた」ぐらいのもので感慨も何もなく、いたって淡々としたものだった。

 そして瞬時に、何年も見てきたチョウを今年また見た、というような“デジャビュ現象”に陥った。多分、本や文献などの写真で、いやというほどヒメギフを見て、頭の中では何回も見てきたような気持ちになっていたためだろう。

 その後、矢捨山で長年、ヒメギフチョウのフィールド調査を続けてきた弘前市のSKさんの話を聞く機会があった。

 「1994年4月24日、雄1匹、雌2匹を見たのを最後に、矢捨山でヒメギフチョウの姿を見ていない」

 びっくりする話だった。あんなにいたヒメギフが、わずか6年後に姿を消すなんて。その原因は分かっていない。矢捨山でヒメギフチョウの発生が初めて確認されたのは1956年のことだった。研究者らが調べた結果、矢捨山は青森県でのヒメギフチョウの最大の産地であることが分かった。以来「ヒメギフ=矢捨山」というイメージが愛好家の間で広まった。それが、発見から38年後に姿を消してしまうとは…。

 ヒメギフチョウは、わたしたち人類に「何かのメッセージ」を残して消えたのだろうが、わたしたちは、そのメッセージをまだ解読していない。

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