あおもり昆虫記
カンタン

 鳴く虫の数は多いが、わたしはエンマコオロギとカンタンの鳴き声が好きだ。と言っても、厳密には声ではない。羽と羽をすり合わせて出てくる音で、ノドから出る音ではないからだ。

 カンタンは、漢字を当てると邯鄲と書く。キリギリスやヤブキリのように騒々しくなく、クサキリのように脳天に刺さるような音ではない。ルルルル…と低く流れるカンタンの声は丸みを帯び、優しく、もの哀しく、幽玄で、郷愁を誘う−ああ、語彙が尽きた。それもそのはず、カンタンの声の周波数は、1800ヘルツと鳴く虫の中では最も低いのである。世間からは鳴く虫の“女王”という称号を与えられている。だが、考えてみれば変だ。優美なカンタンといえど、鳴くのは雄だからだ。雌は鳴かない。なのに女王とは…。

 中国の河北省に邯鄲という地名がある。どうやら昔の日本人は、これからカンタンと名付けたらしい。そして、栄枯盛衰のはかない例えを「邯鄲の夢」と言う。なんという絶妙な表現だろう。

 ところで、カンタンは独特な交尾をする。雄が羽を立てて鳴いているとき、羽のつけ根部分の腺から雌を誘惑する物質を出す。それにつられた雌が一心不乱に誘惑物質をなめ忘我の境地にさまよっていると、雄は精子の詰まった精球を雌の生殖器にちゃっかり移し交尾を済ませてしまう。スズムシやゴキブリも同じような交尾をする。

 この写真は、今別町で撮影したもの。雌の尾端に既に精球が移されているのがわかる。だが、誘惑物質はよほど強力なのか、カメラを近づけても雌は一向にお構いなく雄の羽の下にもぐり込んでなめ続けていた。

 ある年の秋、岩木山ろくの岳高原に行ったときのこと。あの広い高原全域でカンタンが鳴き、音のじゅうたんに身を置いているようだった。1匹だけだと郷愁をさそう声だが、何千何万もが一斉に鳴くと……。「邯鄲の夢」と言うよりは、まさしく生のたくましさがそこにあった。

 カンタンは、高原だけにいるのではない。街にもいる。わたしの家の庭にもいる。

 青森市の中心部に近いところにわたしの家があるが、猫の額より狭い庭は、手つかずで植物が生えるのにまかせている。今は、ヨモギが優占種となっており、さながら“ヨモギ林”のようだ。この庭にカンタンがいるのだ。カンタンはヨモギが好きで、幼虫はアブラムシを好んで食べる。ヨモギに大量のアブラムシがついているから、わたしの庭は、カンタンの生息環境としては、これ以上ない適地、というわけだ。

 夏から秋にかけての夜。自宅の居間の窓を開け放ち、カンタンの美声を聴きながら酒を飲み、陶然とした気分にひたるのは、このうえないヨロコビである。カンタンの美声に酔っているのか、酒に酔っているのか。

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