あおもり昆虫記
コバネイナゴ

 イナゴ。戦中派にとっては、辛く、複雑で、そして妙に懐しい響きを持った言葉だろう。一方、戦争を知らない世代にとっては、何の感慨も沸かない言葉に違いない。

 などと、知ったかぶりして書くわたしは戦争を知らない。

 食べるものが無かった戦争中、田んぼなどに群らがるイナゴは、人間にとって重要なタンバク源だった。子供たちは、袋を持ってイナゴ採りを強要されたという。これももちろん聞いた話だ。調味料がろくに無かった時代、イナゴ料理は、さぞかしまずかっただろう。想像に難くない。いや、飢えに飢えていたため、調味料が不足しているイナゴ料理でも、人はおいしい、と感じたのかもしれない。

 ものが豊富になってから、イナゴは珍味として登場したから面白い。イナゴの佃煮は結構売れているという。戦中派がノスタルジアに駆られ、買い求めるのだろうか−。

 わたしがイナゴの佃煮を初めて食べたのは高校1年のときだった。教室の隣の席のNは、げて物食いで勇名をはせ、アワビのウロを「おかず入れ」に入れて学校に持参、ジユル、ジユルと音をたて、さもうまそうに食べたものだった。

 そのNが授業中、“早弁”を始めた。Nは教師の目を盗みながら巧妙に弁当をほおばっていたが、“あるもの”をはしでつまみ、わたしの教科書の上にボンと落とした。

 一瞬、なんだかわからなかった。が、触角、脚、羽がちゃんとついており、イナゴ!ままよ、と口に入れた。醤油、味醂の味が口の中にパッと広がった。しばらくなめたあと、佃煮をおもむろに口の中から出してみた。すると、糖類のねばねばがすっかり取れ、佃煮は、まさにイナゴそのものの姿になっていた。すっかり感心し、しばらく手にとって眺めたあと、再び口に入れた。今度は噛んだ。

 クセのある微妙な香ばしさが広がった。あの時の味は今も忘れない。が、あの時の授業は何だったのか全く覚えていない。

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