あおもり110山
(とんがりだけ  529.1m  今別町)
 
■ 開拓者を悩ませた強風

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今別町大川平地区から見た尖岳。左の赤白の塔は125mあり、NTT中継所の鉄塔としては東北一高い=1997年7月18日
 「尖岳は良くない山だよ」。今別町関口の佐々木幸作さん(73)は、のっけからこう言った。「風がひどいんだ。尖岳から吹き下ろしてくる風が」。佐々木さんは続けた。そして、その風のおかげで、農業がいかに被害を被ってきたか、について話し始めた。

 尖岳の西側に位置している関口地区は、戦後の二、三男対策として1948(昭和23)年から56年までに46戸が入植した開拓集落だ。主に今別町出身の二、三男の樺太引き揚げ者が入植したが、宮城県からも入った。佐々木さんはその一人だ。

 戦後、自分が家を守るつもりだったが、兄が無事、満州から引き揚げて来たため家を出ることを決意、宮城県庁が募集していた開拓入植に応募した。入植先の選択肢は多かった。その中から佐々木さんは関口を選んだ。「自分の出身地は山の中だったから、海にあこがれていた。関口は海や本村に近いし、半農半漁といううたい文句にひかれた」。こうして佐々木さんら宮城県出身者8世帯は51年に入植した。

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尖岳山頂付近から見た今別町(手前)と三厩村(奥=現・外ケ浜町)の町並み=1997年8月31日
 しかし、期待と現実は、大きく違っていた。風が、想像を絶するほどの強さだったのだ。尖岳から吹き下ろしてくる東風が、突風となって関口地区を襲う。当時、家の造りは粗末だった。「屋根は、ばんばんはがされる。小さい家は、丸ごと飛ばされたことがあった」。風は、とくに春先がひどかった。

 農作物も風害を受け続けた。トウモロコシ、カボチャ、白菜などは風に弱い。中でもトウモロコシは、無残になぎ倒された。このため入植者たちは、炭焼きをしたりジャガ芋、豆類を作って細々と食いつないだ。

 ビートは生育が良かったが、今度は製糖工場がつぶれた。次に入植者は力を合わせ67年に水田を開いた。1戸当たり85アールと小規模だったが、「出稼ぎよりコメの方がいい」とみんなはささやかな夢を見た。しかしコメ余りのため間もなく、減反が始まった。どうにも間が悪い。

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尖岳山頂。狭いため大人数を収容できない。中央奥の山は袴腰岳=1999年6月5日
 何をやってもうまく行かないため離農者が続出した。結局、風に耐えられるのは牧草だけで、肉牛生産が地区の基幹となっていった。最大で46戸がいた同地区だが、現在は18戸。うち、開拓入植は14戸しか残っていない。「風は“かたき”(敵)だよ」と佐々木さん。

 あまりの風の強さに 「山の神に、風を鎮めてもらおう。ほこらを建てて願を掛けよう」という話が出たことがある。しかし、実現はしなかった。「生活が目いっぱいで、ほこらを建てたりする余裕なんて無かったんだ」と佐々木さんは振り返る。

 尖岳は目の前にデンと立っているが、地区の人たちは登ろうともしない。佐々木さんも約50年間のうちに登ったのはたった1回だけ。あまりに身近過ぎるのか。それとも、尖岳を快く思っていないから足が遠のくのか。

 佐々木さんの長男は東京で通年出稼ぎをしている。「風が無ければ長男は農業を継いでいたかもしれない。それを思えば、尖岳は憎らしい山だ。怒ってもどうにもならないが…」。そして「関口に来て良かったような、悪かったような…。まあ、どこに行っても同じだと思えばいいさ」。尖岳の風は、開拓者を諦(てい)観の境地にさせたのだろうか。

<メモ> 東北一高いNTTの鉄塔

 尖岳のふもとにあるNTTの今別無線中継所は、本州と北海道の情報を中継する役目を担っており、鉄塔の高さは125メートルとNTTの鉄塔としては東北で1番高い(2番目は、仙台市にある仙台青葉局の70メートル)。尖岳は、浜名岳、袴腰岳とともに今別町の町民登山の対象となっている。この3山に順繰り登っているが、尖岳に町民登山で登ったのは1972年が最初。尖岳は山頂が狭いため、下山してから昼食をとっている。

(1999/8/28 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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