あおもり110山
(おさきやま  229.7m  中泊町=旧小泊村)
 
■ 漁民たちの心の支えに

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尾崎神社例大祭の奉納神楽「天王舞」で、大漁と航行安全の願いを込め天井に向けて矢を放つ神官=1998年8月16日
 小泊村下前地区のはずれからよく整備された登山道を30分ほど歩くと、権現崎で最も高い尾崎山に着く。

 山頂近くに尾崎神社があり、その裏手から得られる眺望は見るものを圧倒する。北に北海道松前半島、渡島大島、渡島小島、眼下に日本海が広がる。そして南に目を転じれば、海越しに岩木山の雄姿が迫ってくる。

 尾崎山と尾崎神社に対する下前地区漁民の信仰は厚い。権現崎の荒々しさ、眺望の良さは、信仰を集めるのが当然、と部外者にも思わせるものがある。

 神社の例大祭は毎年8月16日。山頂の神社に崇敬者が集まり、社殿の中で大漁祈願祭が行われ神楽が奉納される。が、1998(平成10)年は強い雨と風のため急きょ、下前地区の熊野神社で行われた。

 船主が続々集まってきた。祭壇にお神酒をあげ、持ってきた大漁旗を掛ける。尾崎貞夫宮司(63)が大漁と航行の安全を祈り、66隻の船名と船主の名をよみあげた。

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権現崎の全景。左の一番高い所が尾崎山。下の町並みは下前地区=1997年9月20日、五所川原市(旧市浦村)脇元から
 続いて神宮が神楽5番を奉納した。漁民の願いを舞に込める−というわけだ。クライマックスは、最後の天王舞。弓を手にした神官が天井に向け5本の矢を放つ。矢が天に吸い込まれ、願いがかなうように、という意味。東西南北と中央−さいころの5の目のように天井に矢が刺さると、船主らはやんやの大かっさい。矢が全部刺さるのは珍しいことらしく「これは縁起が良い」と大喜びだった。戦前までは、崇敬者は手にした魚で板の間をたたき喜びを表現したものだ、という。

 同神社氏子総代長で下前地区の漁業磯野留好さん(76)も、満足そうに神楽に見入っていた。小学校を出てからすぐ船に乗った。イカをとり北海道にニシンを追った。生まれて初めて漁に出るとき、尾崎山に登り神社に参拝した。以来、出漁のときは必ず神社に行く。

 自分の船を持ったのは約30年前。イカ釣り船だ。主な漁場は小泊前沖。「(98年の)水揚げは6月までは良かったが、7月に入ってからはまるっきり駄目だ。だから、今日は大漁を祈願した」

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山頂近くの尾崎神社裏手から北海道と津軽海峡を望む=1997年9月20日
 磯野さんは下前漁港所属の漁船が減ってきているのが気掛かりな様子だ。「漁価の低迷による経営不振の影響もあるが、最大の原因は後継者不足だ。子がいても『漁業は嫌だ』と言うんだ」

宮司の尾崎さんが例大祭の最後に 「漁に際しては、気を引き締めるように」と説話した。その意味を問うと「下前地区の水揚げが激減している。こんなときは無理して出漁しがち。事故が心配だからそう言った。漁業者の厳しさ切実さが伝わってくる」との言葉が返ってきた。

 前沖でイカ釣りをしている同地区の漁業成田鶴吉さん(71)が興味深い話を教えてくれた。下前の手こぎ舟の櫓(ろ)は右舷に付いているのだ、という。「全国的には左舷に付いている。下前の舟の櫓が右に付いているのは、出漁の際、尾崎山−尾崎神社に人の尻を向けないため。つまり、尾崎山と正対する形で舟がこげるようにそうなったんだ」と成田さん。

 尾崎山の山頂には下前漁協と小泊漁協の漁業用無線アンテナがそれぞれ立っている。尾崎山は、漁民たちの心のよりどころになっているほか、先進技術の面でも漁民を支えているのである。

<メモ> 航海の神に徐福をまつる

 尾崎神社は807(大同2)年の創建と伝えられている。修験者の聖地だったともいわれる。神社は神仏分離まで飛龍大権現を祭神にしていた。権現崎の名は、これに由来する。また神社には、徐福の伝説がある。中国の秦の始皇帝の命で不老不死の薬を求めて日本に渡来した徐福の子孫が尾崎山に来た、という話で、徐福は航海の神として飛龍大権現とともにまつられた。明治以降、徐福は少名彦として神社にまつられている。

(1998/9/26 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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