あおもり110山
(おいあげやま  359.3m  深浦町)
 
■ 33年ぶり“本名”復活

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なだらかな追上山。山の下に見える集落は北金ケ沢地区と関地区=1997年6月23日、深浦町柳田の国道101号から
 「学校登山で全校生徒が追立山に登っている、と聞いたのですが…」と深浦町の大戸瀬中学校に電話をかけた。「えっ?」。電話の向こうの声は戸惑っていた。ややあって「それ、追上山ですよ。追立山は間違いです」。「えっ?」。今度はこちらが戸惑う番だった。

 市販の旧版在庫の国土地理院の地図は5万分の1、2万5千分の1とも追立山だ。なぜ地元では追上山と呼んでいるのだろう。そこで、同院東北測量部に行って、古い地図を全部見てみた。

 1915(大正4)年に発行された第1号の地図(5万分の1)を見ると、確かに追上山と表記されていた。それが64(昭和39)年発行の地図から追立山に突然変わり、現在に至っていたのだった。変更の原因は、今となっては分からない。しかし、地図を改訂する際、国土地理院は地名などの表記を市町村役場から聞いてチェックしているが、その過程でミスが生じたらしい。

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追上山の山頂。林の中で眺望はきかない。三角点は別の場所にある=1997年5月23日
 「追上山が、なぜ追立山なんだ」。地図を見た地元の深浦町関地区から不満の声が上がった。山の名にこだわりをみせる地元の人たちは、数年前の町政座談会でも修正を求め、町は94年、町長名で国土地理院に修正を求める公文書を出した。その後も、折にふれて同院に電話を入れ、早期修正を求めた。

 そしてようやく、97(平成9)年5月増刷の2万5千分の1の地図から「追上山」と改められた。追上山は、実に33年ぶりに“本名”を回復したのである。その原動力になったのは、人々の地元の山に対する思い入れだった。

 追上山の登山口は大戸瀬中学校にある。ここから延びる登山道は93年、東北自然歩道として整備された。道標は「追上山」となっている。これは、県が町から意見を聞いて道標を造ったためだ。緩い登山道を歩いていくと、ほどなく台地に出る。ここから山頂までは平たんな道だ。登山口から山頂までは約35分で着いてしまう。

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放課後、追上山に登ってトレーニングする大戸瀬中学校野外活動部の生徒たち=1997年5月24日
 同中に89年に赴任した神昭二さん(63)=現岩木山岳会会長=は、追上山が同中野外活動部のトレーニング場所に最適、と考え、生徒たちを連れて案内し、山菜の名を教えるなど自然教育に力を入れた。

 現在(97年)、野外活動部の部員は17人。放課後になればそろいのトレバンと軽登山靴に身を包んで登山、足腰を鍛えている。と同時に、知らず知らずのうちに、ふるさとの山に対する思いを醸成していっている。

 神さんはまた、在職中に追上山への学校登山を提案した。当時の校長が快諾し、全校生徒が2−3回登った。が、このところ学校登山は中断したままとなっている。

 クマが付近に出没しているためだ。「山で下草刈りをしているときクマと出会い、クマの手で顔を張られた」「晴山地区の人が、大戸瀬駅から列車に乗ろうと山道を歩いていたら、クマのつめで足を引っかかれた」…。付近の、クマにまつわる話は後を絶たない。

 「過疎の町だから高校卒業後、多くの生徒は都会に出ていく。せめて、あの学校にいた、あの山に登った、ということが子供たちの思い出の中に残ればいいなあと思って学校登山を始めた」と話す神さん。「中断しているのは残念だが、クマ騒動が納まってから再開すればいい」と語った。

<メモ> 3つの中学に野外活動部

 野外活動部は、元岩木山岳会会長の故米谷茂夫さんが「山歩きを部活動として行うベきだ」と提案したもの。西郡の中学総体の種目としても取り上げられ97年現在、大戸瀬中、鯵ヶ沢一中、岩崎中の3校に部がある。当初は山岳部の中学校版で、体力やマナーなどから優劣を決めた。しかし近年は、岩崎村の十二湖や深浦町の八森山などを会場に、オリエンテーリング方式で行う−というように競技内容が変わってきている。

(1997/8/23 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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