あおもり110山
(のこだけ  582m  外ケ浜町=旧三厩村)
 
■ 全国に誇るヒバ実験林

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ヒバ林に移行中のヒバ・ブナ混交林。ブナの下で、ヒバの若木がぐんぐん生長している=1997年10月17日、実験林で
 「国有林の中で、このように長い期間をかけて実験をしている所は他に無いと思います」。三厩村にある増川営林署の西力男署長は、すこし誇らしげに話し始めた。全国でも同村鋸岳と大畑町奥薬研にしかないヒバ施業実験林のことだ。

 本県に蓄積されているヒバの割合は、全国の約82%を占める。耐久性に優れているため昔から建築用材として重宝されてきた。しかし、伐期に逢するまで150−200年もかかること、手をかけないとひねくれた形の木になること−など育てるのに難しい木だった。

 ヒバに注目した同局は、ヒバに最も適した育林・施業の方法を見つけよう、と1926(大正15)年、松川恭佐技師を招いた。管内のヒバ林をくまなく調査した松川さんは30(昭和5)年、ついに施業方法を確立した。

 それは「森林構成群を基礎とするヒバ天然林の施業法」で、分かりやすく言うと、もともとそこにある森に、なるべく自然の推移に任せながら人手を加え、望ましい方向に導く(この場合は優良ヒバ林に導く)というものだ。

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北西から見ると良い形に見える鋸岳。その後方は増川岳=1996年9月29日、矢形石山南尾根から
 この理論を実証するため翌31年、鋸岳と大畑町に実験林を設けた。一定の面積を持ち、人手が入っていないことが選んだ理由だ。鋸岳の場合、中腹に約196ヘクタール(当初はヒバ林40%、ブナ林40%、ヒバと広葉樹の混交林20%)の森を設定、区域を10区画に分け、毎年1区画ずつに手を加え10年かけて1回りする計画をたてた。これらと対比するため、手付かずのままにしておくヒバ林、ブナ林も設けた。

 44−52年の9年間、戦中・戦後のため施業中断を余儀なくされ、54年には台風15号(洞爺丸台風)の被害を受けるなど、予想しなかったことも起きた。が、当初目標に向かって黙々と実験を続け、66年を数えた。

 さて、その成果は−。「禁伐林はだんだん成長が悪くなっていますが、手を入れた施業林はだんだん成長が良くなっています」と西さん。確かに、当初はあまり違わなかった成長量だが、最近の禁伐林の成長量は1ヘクタール当たり年間1立方メートルで成長率は0.1%なのに対し、施業林は年間約10立方メートル成長し率も1.7%と活力がある。

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鋸岳山頂から見た今別町の町並み=199年7月19日
 全国的に珍しい実験林のため、見学者が多い。九州からも訪れるという。97年4月、三厩、今別、小泊の3町村が「実験林を保護林として永久的に残してほしい」と要望した。営林署は、これを受けて「青森ヒバ永久(とわ)の森」構想を進めている。実験林の歴史・目的を損なわない範囲で町村と一体となって観光施設を模索する考えだ。

 しかし、全く禁伐にする考えは無い。ヒバのサイクルは約200年なのに、実験を開始してからまだ66年しかたっておらず、今なお実験途中だからだ。「この林は一営林署の実験地ではなく日本全体の施業実験地。先輩が苦労してやってきたことを、私たちは後継者にバトンタッチしていかなければならない義務があるんです」。西さんは厳しい表情で語った。

 が、悩みもある。相次ぐ人員削減で、調査員が確保できなくなったのだ。「できる範囲で実験を続けたい」と西さんは苦悩の色を浮かべる。もし国有林が民営化されたら実験林はどうなるのだろうか。

<メモ> 山頂からの眺めは抜群

 鋸岳登山は楽しい。登山口から左側に「ヒパ施業実験林」を見ながら登る。ヒパ林に移行中のヒパ・ブナ混交林も見ることができる。30分くらい登ると実験林は終わり、ブナの純林に入る。さらに登るとブナは終わり、かん木地帯に。そして山頂は風衝草地で木は生えていない。植物の移り変わりを短時間で観察できる。約1時間で着く山頂からの眺めは絶景だ。北海道、津軽海峡、今別町、日本海、権現崎、小泊港などが見える。

(1998/1/24 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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