あおもり110山
(はまなだけ  603.2m  今別町)
 
■ 復活したお山参詣

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無事山頂に着き、ほこらに手を合わせ願をかける今別町浜名地区のお山参詣の人たち=1998年9月20日
 お山参詣は岩木山に限られた行事ではない。県内の小さな山でも長年、地元の人たちが参拝し、それぞれの願いを掛けているところが少なくない。浜名岳もそのひとつだ。

 1998(平成10)年9月20日午前9時40分、今別町浜名地区の人たち22人が、長川口から浜名岳山頂をめぎして登り始めた。お年寄り、働き盛り、地区青年団員、子供…。さまざまな年代の人たちが和気あいあいと登る。

 下はヒバ、上はブナという津軽半島によく見られる植生の山をゆっくり登ること約40分。全員、無事山頂に着き、ほこらに御幣を奉納し、酒やごちそうをあげた。そしてみんなでほこらに手を合わせた。

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浜名地区からよく見える浜名岳=1998年5月10日、国道280号から
 今別町浜名地区では昔から旧8月1日、地元の山・浜名岳に参拝してきた。以前は“ついたち山”に登ってきたが、休日でないと参加者が集まらなくなったため、最近では旧8月1日直前の日曜日に登っている。

 が、浜名岳のお山参詣は、絶えることなく続いてきたわけではない。

 戦前まで地区が主催してきたが、戦後間もなくから地区青年団が主催し、盛大に行われるようになった。そのころは前夜祭から始まり、下のお宮に泊まった青年団員が近くの川で身を清め、太鼓をたたきながら地区を練り歩いてから登り始めた。

 63(昭和38)年から2年ほど団長を務めた理容業五十嵐俊一さん(55)は「40−50人が地区から3時間ぐらいかけて山に登ったもの」と言い、役場職員の沢田渉さん(47)は「子供のとき、親に背負われて登った」とにぎやかだったころを振り返る。当時、子供たちは白装束をまとい、鼻におしろいをつけて参加したという。

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参拝のあと、山頂で宴会。自分の町を見下ろしながら飲むお神酒は格別=1998年9月20日
 しかし、活気のあった浜名岳のお山参詣は65年ごろから行われなくなった。みんなの話を総合すると(1)青年団活動が鈍った(2)地元の仕事が少なくなり、出稼ぎに行ったり町外で仕事をしたり、と地元に残る人が少なくなった−がその理由だ。

 “中興の祖”は同地区で工務店を経営する相内泰博さん(47)だった。タケノコ採りに行った人が「山頂のお堂がつぶれていた」と話すのを聞いた相内さんは、地区と協力し合い84年、ほこらを再建した。そして、せっかくほこらを造ったのだから参拝しなければ、と自ら音頭をとって同年、お山参詣を再び始めた。約20年ぶりの復活だった。

 「今別町の山で山頂にほこらがあるのは浜名岳だけ。それを誇りに思い、お山参詣を復活させよう、と考えた。先祖、祖父、親、先輩たちがやってきたことを絶やしてはいけない、だれかが先頭に立ってやらなければ、と思った」「浜名岳は浜名地区を見守ってくれている山。みんな愛着を持っており、ありがたい、と感じている」。お山参詣を復活させた動機を相内さんはこのように語る。

 浜名地区を見下ろす山頂にごちそうを広げ、楽しい会食が始まった。双眼鏡を手に「あっ、自分の家が見える」と喜ぶ人もいる。会社員相内謙一さん(43)は「自分たちの町や自分の家を見兄下ろしながら、山のてっペんで宴会をするのは最高。それが楽しみで来ているようなものだよ」と言った。その言葉には実感がこもっていた。

<メモ> 大川平、大泊にも“岩木山”

 今別町では浜名岳のほか、大川平地区と大泊地区でも旧8月1日にお山参詣が行われている。大川平では、同地区西側の小高い山を岩木山と呼び、山頂の大川平岩木山神社に参拝する。相内巳之氏(1874年生まれ)が山頂のほこらをもらい受けてから盛んになった。青年団がまつりを盛り上げ、1998年は県外客も含め約80人が訪れた。大泊でも地区を見渡す小高い山を岩木山とし92年、27年ぶりに参詣を再開させた。

(1998/10/31 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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