あおもり110山
(はかまごしだけ  707m  今別町・平舘村=現・外ケ浜町)
 
■ 味わい深い登山標識

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整った形をしている袴腰岳。「富士山に似ているから」と訪れる県外登山客もいる=1997年11月4日、中腹の「丸見」から
 平舘村スキー場から尾根筋を歩いて約3時間で山頂に着く。登山道は非常によく整備され気持ちよく歩ける。ごみ一つ落ちていない。手作りのユニークな標識も登山者の気持ちを和ませてくれる。地元の人たちの、この山に対する思いが伝わってくる。

 もともと袴腰岳は、薪炭共用林と炭焼きに利用されてきた。今も薪炭共用林はあるが、1965(昭和40)年ごろから使われていない。

 炭焼きの人たちは尾根筋をはじめ、さまざまなルートに道をつくり、山を縦横に歩いた。「尋常小学校時代、この道を利用して学校登山でよく登った。戦後のモノが無い時代、中学校行事で全校生徒が山にタケノコ採りに出掛け、その収益で学校の備品を買ったもの」。村役場OBの同村根岸、工藤良行さん(62)は振り返る。

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袴腰岳山頂付近から東側中腹のブナ林の黄葉を見る。奥は津軽海峡=1990年10月21日
 炭焼きをやらなくなってから、山に行く人はいなくなった。気が付いたら道はやぶに戻っていた。

 工藤さんは、山と良い付き合いをした子供時代の自分を思い出した。「子供たちは家の中にいるばかりじゃ駄目だ。子供たちに山に登ってもらおう」。こう考えて、再び道を開くことを計画した。79年のことだった。道の刈り払いは役場、ボランティア、営林署が3区間に分けて、それぞれ担当した。

 標識もこのときに設置した。1枚の大きさは横が1メートル山以上ある大きなヒバ材。こんな大きな標識は、県内の山ではまず無い。字は当時役場課長だった若佐若春さんに筆で書いてもらい、工藤さんら山の好きな人たち3−4人が手分けして担いで登った。「墨の文字は年月を経ると消える。なんとか字を残す方法はないものか」。考えた結果、字の縁を彫ることにした。みんな山中の標識を立てる現場で、慣れない手付きで彫刻刀を握り、一生懸命字の縁を彫った。こうして多くの標識が出来た。

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19年の歳月を経ても健在なヒバ製の標識。右は東北自然歩道の標識=1997年11月4日
 尾根筋だけでも下から山頂まで 「オドシ山」「赤松峠」「尾上」「丸見」「竹ノ子乎」「猿ケ森」「袴腰岳」と標識を立てた。命名もユニークだ。「尾上」は尾根を魚に見立てると尾の部分、「丸見」は丸屋形岳がよく見える場所という意味だ。余暇を使ってのボランティア作業のため、標識の設置に約1年かかったという。

 登山道ができたのを契機に毎年10月10日、村内の小、中学生を集めての登山大会が始まり、かなり続いた。が、このところ中断しており、工藤さんは残念そうだ。村外、県外からの登山者も増えた。青函連絡船がまだ運行していたころ「船から見るととても奇麗な山。ぜひ登りたい」という問い合わせが複数、役場に寄せられたこともある。

 役場を退職した工藤さんは今、趣味で漁をすることが多い。漁場を探すために山を目印にする。袴腰岳もその一つだ。「沖から見ると、袴腰岳は富士山そっくり。富士山よりいいくらい」。そう言って楽しそうに笑った。

 苦労して立てた標識は19年たった今も健在だ。予想通り墨は消えたが、彫った縁が残っているのでちゃんと読める。

 最近、登山道の一部が東北自然歩道に指定された。その杭(くい)状の標識が、古い標識の隣に立った。新しい標識は、古い標識の圧倒的な存在感を際立たせる引き立て役のようだった。

<メモ> ピーク2つ、どっちが山頂

 袴腰岳には国土地理院の三角点が埋められておらず、地図に標高の記入すら無い。一般に認識されている標高値は1950(昭和25)年、青森営林局が測量した706.78メートルに基づく。この測量の際、図根点を埋めた。これが三角点と勘違いされている。袴腰岳は双耳峰でピークが2つある。営林局の5千分の1の地図を見ても、どちらが高いかは分からない。平舘村、今別町もどちらが山頂かという見解は持っていない。

(1998/04/04 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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