あおもり110山
たしろやま  767.9m  黒石市
 
■ 消えた?スズラン群落

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眺望の良い田代山山頂こ憩う黒石山岳会会員と家族。草原は、かつてここが採草地だった名残だ=1998年6月7日
 「すずらん薫る田代の山…」。黒石市東英小の校歌の一節である。校歌にうたわれるほど田代山とスズランは市民から親しまれてきた。「よく遠足で田代山に行ったものだ。学校から歩いて2時間くらいかかった」。東英小卒業生で黒石山岳会理事長を務める山田日出隆さん(51)は懐かしそうに振り返る。

 が、以前と違って田代山は気軽に登れない山となり、スズランも20年以上その姿を見た人はいない。

 田代山は昔、牛や馬のえさとなる草を刈る場所だった。このため常に人の手が入り、中腹から上は見事な草原だった、という。この環境はスズランの生育に適していた。

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どっしりした田代山。下の町並みは黒石市落合地区=1998年10月2日、国道102号付近から
 「田代山は木が生えていない山でワラビがいっぱいあった。そんな所にスズランが群落をつくっていた。みんな『スズラン畑』という愛称でその場所を呼んでいた。群落は五畝(約500平方メートル)ぐらいあった。草を刈らなくなると木が大きくなり、次第にスズランの姿が見えなくなっていった。20−25年くらいスズランを見ていない」。黒石市の板留財産区の役員を務める農業桜庭昭一さん(71)はそう語る。

 柴田高で生物を教えている黒石山岳会会長の工藤透さん(60)は高校・大学時代、植物採集のため田代山によく登ったが「勤めてからは忙しくなって田代山から足が遠のき、40年ぐらいスズランを見ていない」と言う。

 今、板留財産区でスズランで地域活性化を図ったらどうか、という議論が交わされている。しかし「道をつけると盗掘など山が荒らされるという声もあり、はっきりしたことは決まっていない。だいいち、スズランが今でもあるものかどうか」と桜庭さん。

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田代山中腹から望む浅瀬石川ダムの虹の湖=1998年6月7日
 1998(平成10)年6月7日、同山岳会がファミリー登山で田代山に登る、というので同行した。「これまで高い山などを目指してきたが、会員が高齢になってきたこともあり、近くの山や低い山も対象にしてきている。田代山は長年登ってこなかったが、そのような理由で地元の山を見直し、ここ10年ぐらいはよく登っている」と山田さんは趣旨を説明する。

 登山には13家族、19人が参加した。幼稚園児もいる。いきなり高度差250メートルの急登だ。みんな木につかまりながらよじ登る。旧来の登山道がやぶになったため、近年だれかが新たにつけ変えた道という。道といっても、あまりはっきりしないけもの道のようだ。満開のヤマツツジが疲れをいやしてくれる。

 休み休みゆっくり登って1時間40分。山頂台地に着いた。ヤマツツジの株が点在する草原が広がっており、かつての採草地の面影が残っている。東に南北八甲田、西には岩木山や弘前市、黒石市の市街地がよく見える。

 園児を含む3人の子供を連れてきた同山岳会会員で東奥信金勤務の鎌田錬逸さん(44)は「眺めがいいので連れてきた」、奥さんの智子さん(43)は「地元の山はどんな所かなあ、と思って来た」と言う。「山はもう嫌だ」と疲れてむくれ顔の子供たちを、夫妻は優しいまなざしで見守っていた。

 楽しい昼食が始まった。みんなの笑顔を見ながら、会長の工藤さんがぽつりと言った。「まだあるらしいといわれる田代山のスズランをぜひこの日で確かめてみたい。ささやかな夢です」

<メモ> 70年の歴史誇る黒石山岳会

 黒石山岳会は県内の山岳団体のさきがけで、発会は1928(昭和3)年6月10日。発会式は田代山山頂で行われた。同月12日付の東奥日報は、その模様を写真入りで報道している。一行は津軽子爵ら60人。約2時間かけて登り、写真には馬も写っている。下山途中、満開のスズラン畑に立ち寄り、土産に摘んで帰ったという。同山岳会の会員は現在40人。南八甲田を主な活動場所とし、田代山でトレーニングを積んでいる。

(1998/7/25  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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