あおもり110山
(たかながねやま  172m  弘前市)
 
■ 気軽なレジャーの森

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のんびりとキャンプを楽しむ人たち。テントを張る場所が林間に点々としているため静かな雰囲気だ=1997年8月14日
 広いリンゴ園に囲まれた小高い山が、弘前市のレクリエーション地域になっている高長根山だ。ふもとのビジターセンターから見上げると、山頂がすぐそこに見える。

 目の前に広がるスキー場を登ってもいいが、まずは順路を登ってみる。杉林の中にあるキャンプ場を過ぎ、少し歩くとゲレンデの上に着く。ここまで来れば山項はもうすぐだ。

 山頂に造られた展望台(インディアンとりで)に登ってみる。低い山ではあるが、眺望は意外に良い。北から時計回りに、津軽半島南部の袴腰岳、大倉岳、馬ノ神山、梵珠山をはじめ、東岳、南北八甲田、阿闍羅山、弘前市街地、久渡寺山、棺森、森山、そして岩木山が目に飛び込んでくる。とくに岩木山は眼前に迫り、その迫力に圧倒される。

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高長根山の全景。樹木が無い部分がスキー場だ=1997年6月2日
 展望台に一緒にいた家族連れは「すごい、すごい」と言いながら、カメラのシャッターを切っていた。

 高長根山は以前、家畜のえさを刈る採草地だった。弘前市医師会事務局長の佐藤逸郎さん(72)は「小学生のとき、遠足でここに来たものだった。木が1本も無い山で、ワラビがいっぱい生えていたっけ。スキーもやった」と懐かしむ。馬などの家畜が耕運機に代わってから、ふもとはリンゴ園に、山は杉林に変わっていった。

 その佐藤さんが、高長根山の開発を手掛けることになる。山のふもとに中央衛生センター(し尿処理場)建設の話が持ち上がったとき、同市高杉地区から「建設を認める代わりに、青少年に役立つ施設を造ってほしい」と市に注文が出された。その計画づくりの特命を受けたのが、当時市商工部長の佐藤さんだった。

 「弥生いこいの広場と連動させ、岩木山リゾートのモデルを造る意気込みだった」。構想は大きかった。こうして1983(昭和58)年、スキー場、キャンプ場、ロックガーデン、アーチェリー場、展望台、縄文施設、ビジターセンターなどで構成されるレクリエーションの森が完成した。

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山頂から見た弘前市街地=1997年8月14日
 なかでもキャンプ場がユニークだった。いまでは当たり前になったが、バンガローやテント場の隣に車を乗り入れることができるオートキャンプ場は、関心を集めた。ボーイスカウト関係者からの「欧米ではオートキャンプが主流になっている。日本もいずれそうなる」というアドバイスを受けて造ったものだ。

 「オートキャンプ場のモデル的なものを目指し、県内の“さきがけ”だった。東北でもあまりなかった、と思う。でも少し早過ぎたかもしれない」と佐藤さんは苦笑する。今は老朽化し入浴施設も無いバンガローでの宿泊は休止している。

 バンガローが使えなくても弘前市唯一のキャンプ場だけに、休日になると満杯になる。テントを張る場所が林間に点々とあるため、静かなのが特徴だ。その一角で弘前市の会社員相馬正人さん(40)が家族や同僚とテントを張っていた。「市内から近いからね。まあまあのキャンプ場だ」と満足そうに語った。

 近くに計画された津軽岩木リゾートのスキー場は途中で空中分解し、高長根山は佐藤さんが目指したリゾートのモデルになりえなかった。が、地域の人たちにとって大切な施設であることに変わりはない。

<メモ> 年間の利用者は約1万人

 高長恨レクリエ−ションの森のこのところの年間利用者数は約1万人で一定している。内訳はスキー揚が6000人、学校の遠足やキャンプが4000人。これまでで一番利用者が多かったのは1990(平成2)年の2万2000人。この年はスキー場に夜間照明施設ができたため、スキー客が急激に増えた。その後鯵ケ沢スキー揚に客を奪われた。一帯は、縄文時代後期の遺跡として知られ、53年、80年に発掘調査が行われた。

(1997/9/20  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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