あおもり110山
(そらだいやま  585m  平川市=旧碇ケ関村)
 
■ 山頂にあった雨量計

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久吉ダムから見た空岱山(中)。紅葉を楽しむために訪れる人が多い=1997年10月19日
 1966(昭和41)年8月12日。津軽地方を襲った豪雨で平川があふれ、碇ケ関村の橋が全部流れてしまった。平川で二分されている同村の機能はストップした。旧役場庁舎(現公民館)前にあった雨量計も水をかぶり作動を停止した。

 復旧作業の過程で村は考えた。「役場の前に雨量計があっても駄目だ。増水を予想できる場所に設置しなければならない」。こうして選んだのが平川の支流・津苅川上流の空岱山山頂だった。

 空岱山を選んだ理由を同村収入役の黒滝卓郎さん(63)は、こう振り返る。「林業従事者の話を総合すると、山に大雨が降ると平川が増水するまで約3時間かかるという。3時間あれば村民は避難できる。だから空岱山に雨量計を設置しようとした」

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隠れた人気があった無料・無人の久吉温泉。98年書から防火水槽になった=1997年8月28日
 村がめざしたのはロボット雨量計だった。山頂から無線で信号を発信、これを弘前測候所−青森地方気象台が受け、山に大雨が降り河川増水の恐れがあるときは、直ちに村に連絡してもらおうというものだ。村は気象台に陳情、村が40万円、気象台が20万円を負担することでロボット雨量計の設置が決まった。

 設置作業は67年6月から1カ月間かかった。現場の指揮は黒滝さんらが担当、同村久吉地区の林業作業員10人が建築資材を荷揚げした。コンクリートブロック、セメント、砂、水などを背負子(しょいこ)に積んで急斜面を1日3往復。1回の重さは30−40キロもあるきつい作業だった。空岱山には当初、登山道が無かった。このため、荷揚げ作業をしながら道をつくった。

 こうして山頂にコンクリートの小屋が完成、中に観測機械を設置、屋根にはアンテナを立て67年10月19日、空岱山無線ロボット雨量計が開局した。

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空岱山山頂に残っているロボット雨量計の小屋=1997年8月28日
 翌年から雨量計を維持管理するための登山が始まった。登山は春と秋。気象台職員3人、荷揚げ担当の役場職員4人が参加した。4月にバッテリー、水(バッテリーに入れる)、発信器などを背負って登り、10月下旬にはこれらを回収して下るとともにアンテナを小屋の中に格納した。

 山歩きが好きな黒滝さんは進んで維持管理登山に参加、「登らなかったのは2、3回だけ」という精勤ぶりだった。また、若い職員に山に親しんでもらおう、と農林課職員を中心に、資材担ぎに参加させた。

 村民を守ってきたロボット雨量計だが、94(平成6)年10月、役目を終え閉局した。技術革新で雨量計が無くても気象の予想ができるようになったことと、ロボットの更新時期にあたっていたことが閉局の理由だった。大水害後、遠部ダムと久吉ダムが造られ、さらに両ダムに雨量計が設置されていることもロボット引退につながった。

 空岱山のロボット雨量計は活躍したのだろうか。黒滝さんは「気象台から『避難せよ』という連絡はこなかったなあ」と笑う。が、村民に安心を与えた“功績”は限りなく大きい。

 久吉温泉付近から沢を渡り空岱山に登ってみた。登山道は消えていた。このため急斜面を草木につかまりながら直登した。重い資材を担いで登った当時の苦労がしのばれる。約40分で山頂に着いた。山頂にはがらんどうになった雨量計の小屋が残っていた。

<メモ> 山奥の秘湯 久吉温泉

 空岱山ふもとの久吉温泉は大正時代に泉源が見つかった。営林署の権利を碇ケ関村久吉の人が長い間借りていた。1955(昭和30)年ごろまで湯治用の建物があった。約20年前から掘っ立て小屋が建ち、山奥の秘湯として隠れた人気を得てきた。借地権が署に返されたのを機に、村は95年に権利を買った。村は周辺にバンガローなど観光施設を建設、これに伴い温泉は98年3月までに取り壊され防火水槽を兼ねた池になった。

(1998/2/7  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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