あおもり110山
(もりやま  403.4m  弘前市=旧岩木町)
 
■ 岩木山に見立て信仰

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岩木山の懐に抱かれるように立っている森山(左)=1997年6月2日、弘前市国吉から
 県道弘前・鯵ケ沢線を隔てて岩木山の南にある山だ。遠くから見ると、岩木山に寄り添う小さな子供のようにも見える。このため森山は、岩木山と関連付けて考えられてきた。

 「森山は模擬岩木山と言われているんです」。岩木山神社の祢宜須藤広志さん(51)は言う。須藤さんは次のように説明する。

 「岩木山は神体山と考えられています。神々の世界と地上を結ぶ接点が岩木山山頂というわけです。つまり、神が地上におりるときは山頂におりる−と古代人は考えてきたのです。山頂は神々の場所、聖なる場所だから、みだりに人は登ってはいけない、と代わりに小さな山を岩木山に見立てて登ってきたわけです。それが模擬岩木山です」

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森山の登山道脇に咲いていたヒトリシズカ=1997年5月16日
 岩木山との関係とは別に、森山はかなり昔から信仰の対象になっていたようだ。言い伝えによると、森山中腹にある守山神社の創建は1091(寛治5)年で、大山祇大神など3つの神がまつられている。山田家が代々、守山神社の神主を務めてきたが1873(明治6)年、岩木山神社に合祀(ごうし)された。

 森山が模擬岩木山として、人々にどのような登り方をされたのかについては、記録が残っていない。須藤さんは、「合祀される前までは、森山はよく登られたのではないかと思う。なにしろ岩木山は藩主でも日を決めて登っていたほどで、昔はとても俗人は登れなかったから」と推測している。

 守山神社を守ってきた山田家の第15代が岩木町百沢の神官山田伴国さん(40)だ。母照江さん(62)に、今は岩木山神社に合祀されてしまった守山神社とどのように接しているのかを聞いてみた。

 「家の神棚には守山神社と岩木山神社のお札が入っていますが、特別なことはしていません」。ただ、正月と例大祭日には気持ちを新たにして臨む、という。

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守山神社があったことを今に伝えるほこら=1997年5月16日
 大みそかに森山、太陽、神棚の三方に酒やもちを上げて夜に拝む。そして元旦にはお供え物を替え、森山に向かって遥拝(ようはい)する。また、毎年6月12日に岩木山神社で行っている守山祭には家族で参列、お払いを受けたあと、森山の方角に向かって遥拝している、という。

 「今は岩木山神社と一緒になって祭りも岩木山神社でやっているけれど、やはり守山祭のときは守山神社で祭りをやっている気持ちで遥拝しているんです」と照江さんは話してくれた。

 森山には、林道跡を歩き、その終点から踏み跡道を少し登ると約30分で山頂に着く。今はだれでも岩木山に登れるようになったためか、訪れる人がはとんどいない山になってしまった。

 「子供のころ、学校から帰ると、みんなでスキーを持って森山に行き遊んだものです。南側の弘前市国吉まで滑って行ったこともありました」と須藤さんは当時を懐かしむ。が、今は子供たちも訪れなくなった。

 森山中腹に、ほこらがひっそり建っている。ほこらの裏にある「守山大神」と刻まれた古い石碑が、かつて守山神社があったことを今に伝えている。

 また、岩木山神社の参道西側に、守山神社を合祀したときの石碑が建っている。石碑の正面は、森山の方向を向いている。

<メモ> 春は山野草が咲き乱れる

 森山は、春に訪れるのがいい。全山にヤマザクラが咲き誇り非常に美しい。林道跡を登って行くと、道の両側にカタクリとキクザキイチリンソウが群落をつくって咲いており、他の場所より花が一回り大きいのが特徴だ。中腹のほこら周辺もカタクリの群落、山頂近くの林床はカタクリ、チゴユリ、マイヅルソウの群落だ。このほか、ヒトリシズカ、キパナイカリソウ、オオタチツボスミレの花も楽しめる。里山の色が濃い山だ。

(1998/5/8  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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