あおもり110山
(くどじやま  662.9m  弘前市=旧相馬村)
 
■ ユニークなこどもの森

写真
久渡寺境内の池で子供たちにヒキガエルを観察させる、こどもの森管理人の笹野和史さん(中央)=1999年5月9日
 登山口は、いきなり長い階段だ。登り詰めると久渡寺がある。1999(平成11)年5月9日、境内の池に無数のヒキガエルが集まっていた。交尾し卵を産むためだ。子供たちが興味深そうに池をのぞき込む。「これがヒキガエルの卵だよ。さわってごらん」。笹野和史さん(47)が説明する。「きゃっ」と声を上げる子供たち。みんな、目が輝いている。

 久渡寺山の全山約207ヘクタールは、弘前市の「こどもの森」になっている。笹野さんは、森の管理人を務めて20年になる。

 こどもの森は、弘前市制80周年記念事業として69(昭和44)年にオープンした。その数年前、久渡寺の高坂智晋住職と藤森睿弘前市長が話し合った。「これからは子供たちが自然に親しむ機会が少なくなる。その場を子供たちに提供しよう」。2人の考えは一致、高坂さんが山を無償で開放した。

写真
津軽33観音巡りは、この久渡寺観音堂からスタートする=1999年5月9日
 こうして誕生したこどもの森の初代管理人に弘前高校で生物を教えていた鈴木正雄さんがなった。

 久渡寺山はもともと信仰の山で、登山口から1時間足らずで山頂まで登れる登山道が整備されていた。こどもの森開設により、太陽の道、カモシカの道など自然観察道が増え、ビジターセンターやキャンプ場、遊び場などがつくられた。そして、ビジターセンターでさまざまな展示をしたり自然観察会を開くなど、子供が自然に触れ合う機会を設けた。

 こどもの森は、運営がユニークだ。自然観察会の参加者が少なかったため、会員登録制を導入し、観察会の案内をはがきで会員に知らせる方法をとった。今では各地で行われているやり方だ。こどもの森では現在、約100人が登録している。こどもの森開設を手伝った弘前市公園緑地課主幹の小林範士さん(49)は「高知県庁の人が『全国を調べた結果、自然観察を主体にした子供の施設は久渡寺山が全国のさきがけだ』と言い視察に来たことがある」と裏話を教えてくれた。

写真
弘前市小沢のリンゴ園から望む久渡寺山=1997年5月14日
 さらに特徴的なのは、観察会・キャンプの助手や、展示会用のカエル・バッタなどの生き物集めは、こどもの森協力会が行っていることだ。こどもの森で育った中学生から大人までの協力会員約30人が、今度は子供たちを指導する立場になる−というサイクル。このようなやり方は10年以上前から続いており、笹野さんは「全国を見てもこのような運営をしている所は無い」と言い、小林さんは「非常にうまくサイクルが回っている」と自賛する。

 この方式が自然な形で実現したのは、笹野さんのキャラクターによるところが大きい。小学校低学年の子供たちが笹野さんを「ささの」と呼び捨てにして慕ってくる。笹野さんは一向に気にしない。「子供は私を大人と見ていないし、私も子供を下に見ていない。子供も私もそれぞれを仲間だと思っている。仲間同士でわいわい騒ぐ感じで運営してきた」と話す。協力会が出来た秘密がここにある。子供たちは、久渡寺山で自然を学ぶとともに、生きていくうえで大切な何かを身に付けているのだ。

 「もっと子供たちが集まるようにしたい。そのためにはみんなに面白い、と感じてもらえる森にしていきたい」。笹野さんは子供のような瞳で、そう語った。

<メモ> 津軽33観音第1番の札所

 久渡寺の正式な名は護国山観音院久渡寺で、藩政時代は津軽真言5山の一つだった。1887(明治20)年ごろから始まったオシラ様信仰で知られる。また久渡寺には、円山応挙が描いたとされる幽霊の掛け軸がある。津軽33観音の第1番の札所でもあり毎年、観音巡りの約1万人が観音堂に参拝して記念の朱印をもらっている。「こどもの森」は1989(平成元)年に環境庁の「ふるさといきものの里」の認定を受けた。

(1999/6/19  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


「あおもり110山」インデックス  |  青森県の山々「久渡寺山」


HOME