あおもり110山
(いわきさん  1624.7m  弘前市=旧岩木町)
 
■ ついたち山に願い託し

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濃いガスと雨のため岩木山山頂からご来光は見えず。それでも参詣者は一心に祈りをささげていた=1997年9月2日午前5時すぎ
 1997(平成9)年9月1日午後8時。岩木山神社前の広場は、人で埋め尽くされていた。登山ばやしが輪をつくり、その外側に踊りの輪が二重、三重。さらにその外側に幾重もの観客の輪が出来ている。ものすごいエネルギーだ。津軽地方最大の秋祭り岩木山お山参詣。クライマックスのついたち山を迎えようとしていた。

 旧8月2日(97年は9月2日)のご来光を拝もうと神社から登る参詣者に同行するつもりだったが、雨の予報のせいか、神社前の熱気とは裏腹になかなか登山者がやって来ない。

 それでも午後10時半には5人が集まり登り始めた。「1年に2回の心の洗濯です」と10年前からついたち山に登っている弘前高校教諭の前田正美さん(52)、「ご来光を拝むとすごく気持ちがいい、というので一度登ってみたかった」と初めて挑戦する黒石市の乗田はるゑさん(55)と佐々木征子さん(52)、それにお年寄りの男性2人。

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岩木山を代表する名花ミチノクゴザクラ=1991年7月13日
 歩き始めて間もなく雨が降り出した。以後、雨は断続的に強く降る。前田さんが急造グループのリーダーになって、みんなをリードする。2日午前2時半、焼止避難小屋に着き、体を休める。驚いたことに、登山者がどんどん小屋に入ってきて、20人を超えた。小屋の中は超満員だ。

 その中に、白装束に身を包んだ五所川原市の木村良子さん(51)がいた。「10年間難病を患った。おかげさまでここまで元気になれた、という感謝の気持ちを込めて3年前からついたち山に登っているんです」。同行した娘さんも白装束だ。

 ここから大沢登りが始まる。20人は、いずれも個人で登っており、暗やみの沢登りに自信が無い人も多いため、前田さんが率いることになった。ヘッドランプを持っていない人を間に挟み、助け合いながら沢を登り始める。間もなく、ランプの電池が切れた人が続出した。予備の電池や懐中電灯を持っている人がすかさず「どうぞ使って」と差し出す。

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津軽の農業は岩木山から多大な恩恵を受けている=1997年9月16日、弘前市薬師堂から
 「7―8年前までは地区単位で登ったものだが、今は個人で登る人が多い。なぜか個人同士で自然にグループができるんです」と前田さん。かつてはムラで結び付き、今は個人が結び付く。見知らぬ者同士に生まれる不思議な連帯感。前田さんは「この助け合いの雰囲気がいいんです。山の神様がそうさせてくれるのでしょう」と言う。

 日中、大沢を登ると75(昭和50)年8月6日に22人の命を奪った土石流災害のつめ跡が見られるが、漆黒のやみに、精霊のようなヘッドランプの列が見えるだけだ。64年1月に遭難死した、大館鳳鳴高校山岳部の4人を慰霊するために建設した避難小屋に着いたとき、ようやく空が白み始めてきた。

 山頂着は午前5時。スカイライン利用の参詣者でごった返していた。が、厚いガスと雨のためご来光は拝めなかった。それでもみんな、東に向かって手を合わせ、一心に祈りをささげていた。

 初挑戦の乗田さんも無事山頂を踏んだ。「ご来光は拝めなかったけど感激しました。感無量のものがあります」。目にいっぱい涙を浮かべ、言葉に詰まりながら話してくれた。夜を徹しての登山で心を昇華させた乗田さん。表情はとても穏やかだった。

<メモ> 岩木町花 ミチノクコザクラ

 岩木山だけに分布しているのがミチノクコザクラ。(1)エゾコザクラの変種(2)エゾコザクラの亜種(3)ハクサンコザクラの岩木山型―の諸説があるが、現在は(1)が有力。岩木町は町の花に定め、町章にも使っている。

 津軽岩木リゾート構想のうち岩木山弥生スキー場建設をストップさせる運動の先頭に立った正木進三弘前大学名誉教授(69)は1999年8月末現在、ふもとから山頂まで約380回登った記録を持っており、なお更新中。

(1997/11/1  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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