あおもり110山
(どうがたいさん  496m  弘前市・大鰐町)
 
■ 親しまれる清水わく山

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堂ケ平山山頂で憩う弘前市大沢地区の人たち。ミズナラなど広葉樹が生い茂り、眺望は得られない=1998年9月6日
 本県にスキーが入って間もない1919(大正8)年。スキーで弘前市大沢から堂ケ平山を越え、大鰐町折紙地区に抜けたパーティーがあった。リーダーは、本県でのスキー普及に尽力した油川貞策大尉だった。おそらく、本県における山岳スキーツアーの第1号とみられる。同年1月28日付の東奥日報はそのときの模様を次のように伝えている。

 「歩兵第五十二連隊は油川大尉の指導で将校五人が一週間スキー術を練習。熟達したため一月二十五日、弘前中学教諭一人を含む七人で山越えを計画した。午前七時、連隊に集合。堂ケ平山山頂までは雑木の密林で苦労。また下りは急斜面のため斜滑降で慎重に滑り午後十一時半、折紙地区に着いた」(要約)

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正面中央が堂ケ平山=1998年9月10日、弘前市のアップルロードから
 当時はストック1本、シール無し、ワックス無しだったため、山越えの悪戦苦闘ぶりが容易に想像できる。

 弘前市大沢の小田桐誠一郎さん(58)=弘前市健康福祉部長=は「40年ほど前、春に雪を踏み締めて山頂に登り、スキーで下ったことがある」というが、今はスキー目的での山に行く人はいない。斜面がきつく立ち木も多いため、スキーには向かない。

 今は、山菜採りやキノコ採りが多数入山。名水との評判が高いふもとの桂清水には、水くみに来る人が引きも切らないなど、地元大沢地区の人たちにとって非常に親しまれている山だ。

 昔、堂ケ平山は大沢地区の部落有山林で「50年山」といって期限をつけて同地区の人たちに貸していた。そして60(昭和35)年ごろ、個人に所有権が与えられた。雑木林をそのままにしている人もいれば、杉を植林した人もいる。

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堂ケ平山ふもとの桂清水は大人気の名水。訪れる人が引きも切らない=1998年9月6日
 同地区の農業小田桐富作さん(75)は「一帯に3カ所、2ヘクタールの山林を持っている。杉を植えたので手入れのため、しょっちゅう堂ケ平山に登っている」。富作さんに案内してもらい堂ケ平山に登ったが、75歳とは思えない身軽さで、急斜面をどんどん登っていくのに驚かされた。

 山頂は弘前市と大鰐町の境になっている尾根筋にある。尾根には踏み跡がついており、山頂は狭い広場になっているが、眺望は得られない。

 堂ケ平山の山林から恩恵を受けたのが同地区の農業相馬子之七さん(68)。「昭和28年の大沢大火で自宅が焼けたとき、自分の山の木を切って家を建てたんだ」

 ふもとの桂清水がある辺りは、鎌倉時代初期に修験の場として開かれ、藩政時代には市応寺が置かれ非常に栄えた、と伝えられている。修験者は、清水を飲み堂ケ平山などを駆けめぐり修行を積んだのだろう。同地区の農業池田邦太郎さん(69)=大沢山林組合長=の先祖は修験者だったという。「本家筋は修験者から20何代続いているそうだが、よく分からないなあ」。池田さんは困ったような表情を浮かべた。

 池田さんも堂ケ平山の斜面に杉林を持っている。が、91(平成3)年の台風19号で50年生以上の杉が一ヘクタールなぎ倒された。「祖父が植えた杉だった。あと20年したら収穫するつもりだった。仏壇に水を上げ先祖に報告したとき泣いたよ。あまりのショックで」。その後、県造林公社に委託し植林し直した。その場所に行ってみた。杉の幼木はすくすくと育っていた。

<メモ> 「私たちの名水」に選ばれる

 桂清水は1988(昭和63)年、県指定「私たちの名水」に選ばれた。これを契機に水をくみに来る人が急増、土、日曜日には、順番待ちの行列ができるほどだ。主に弘前市内の人たちが訪れるが、100リットルくんでいく愛飲家もいる。地元大沢地区には昔から「おさの(大沢の)どがでの(堂ケ平の)桂水飲めば、80ばさまも若ぐなる」という歌があり、名水を誇りにしている。この歌はドダレバヂの節に合わせ盆踊りで歌われる。

(1998/10/17  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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