あおもり110山
(たかくらもり  829.1m  西目屋村)
 
■ ブナ林楽しめる登山道

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雨のブナ林。高倉森の山頂を目指し自然観察歩道を歩く白神トレッキングの参加者たち=99年5月28日
 白神山地のブナ林を守るだけでなく、自分たちで育てよう、と1990(平成2)年から始まったジャパン・ブナ・フェスティバル。ブナの苗の植樹と巨木の森コンサートの二本立てで実施してきたが、98年からこれに白神トレッキングが加わった。

 コースは、旧弘西林道の津軽峠から高倉森を経てアクアビレッジ暗門に至る5.6キロだ。トレッキングを加えたことについて西目屋村役場の担当者は「これまでブナフェスの植樹の後、暗門滝や周辺の散策道を案内してきたが、アンケートをとったら『物足りない』という声が多かった。そこで98年、試験的に高倉森コースを歩いてもらったら好評だったので今年も実施した」と説明する。

 なぜ高倉森なのか。担当者の答えは明快だった。「村内にあるからです」

 99年5月28日、その白神トレッキングが行われた。参加者は98人。ほとんどが県外からの参加者だ。あいにくの雨だったが、新緑のブナ林を楽しみながら全員、無事歩き終えた。

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旧弘西林道から望む高倉森=99年6月14日
 東京の会社員斎藤政喜さん(58)は「妻は毎年ブナフェスの植樹に参加しているが、今年はトレッキングがあるというので私も参加した。全国の山を歩いているが、白神のブナは立派だ。他の山のブナはとてもかなわない」。また、宮城県亘理町の主婦吉野貞子さんは「ブナフェスに参加したのは3回目。ブナの大木はすごかった。宮城のブナとは全然違う。コースはきつかったが、とてもいい山だった」と満足そうに話していた。

 このような登山行事が高倉森で行われるようになったのは、登山道ができたからだ。つい最近まで道が無く、訪れる人がほとんどいない静かな山だった。

 登山ルートが地図上に引かれたのは92年のこと。引いたのは当時、県自然保護課に勤務していた玉川宏さん(55)=現県西農林事務所治山課主幹=だった。「白神山地の価値を体験してもらおう、と根深誠さん(弘前市の登山家)の意見を聞きながら天狗岳、高倉森など6ルートの線引きをした」

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高倉森山頂から見るブナ原生林。左奥の三角の山は尾太岳=99年5月29日
 もっとも根深さんは、江戸時代の紀行家菅江真澄が歩いた道(アクアビレッジ暗門から山腹を巻いて暗門滝の上に出るルート)の複元を提言、高倉森は念頭に無かった。玉川さんは根深提言を一部取り入れ、菅江ルートの途中から高倉森に登る道を新たに設定した。「その方が道を開きやすかったから」と玉川さん。

 玉川さんが地図上に引いた高倉森登山道がオープンしたのは96年。実現させたのは当時県自然保議課長の附田守弘さん(60)=現県森林組合連合会専務=だった。附田さんは、暗門滝に通じる渓流沿いの道が狭く混雑するため、その迂(う)回路を造り高倉森登山道とつなげよう、と考えた。つまり、暗門滝に訪れる人たちを分散させよう、としたのだった。しかし、地形が険しいため迂回路建設は不可能なことが分かり玉川案通り高倉森に登山道を造った。

 高倉森登山道は比較的楽に歩けるため、前述のトレッキングに利用されるなど入山者が少なくない。附田さんは「暗門滝に訪れる人の分散化はできなかったが、高倉森登山道を開いたことで結果的に白神山地全体の入山者の分散化に役立った。それはそれでいいこと」と話している。

<メモ> 今に残るジョウトク伝説

 高倉森には「ジョウトク様」にまつわるマタギ伝説がある。弘前市東目屋中畑のマタギだったジョウトクは、きちんと身なりを整え白神に入った。これを不審に思った妻が後をつけて女人禁制の白神に入った。山の神は怒り、ジョウトクは獲物が捕れなくなった。悲観したジョウトクは常徳沢に飛び、神になって高倉森に移り、さらに白神岳に飛んだ、というもの。白神を自由自在に飛び移ったことからマタギの神と慕われている。

(1999/7/9  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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