あおもり110山
(しらかみだけ  1235m  深浦町)
 
■ 世界遺産で登山者急増

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白神岳山頂付近にある、ほこらにお参りする岩崎村大間越地区のお山参詣の人たち=1994年9月11日
 1998(平成10)年10月12日午前7時半。白神岳登山口に着いたら、駐車場は既に満杯だった。8台の車のうち5台は県外。宮城、熊谷、相模…。熊本ナンバーの車もあった。世界遺産白神山地のシンボル的な存在の白神岳は、いまや全国的な人気を得ているのである。

 かつて白神岳の登山ルートは二股(ふたまた)コースだったが、険しいため1983(昭和58)年、村が新たに蟶山(まてやま)コースを切り開いた。登山者はいま、尾根筋を通る同コースを歩いている。以前、このコースはぬかるみで歩きにくかったが、95年に営林署が倒木の輪切りを配置したり、97−98年に県が木道を設置し、歩きやすくなった。これは世界遺産への対応のひとつだ。

 東側に世界遺産核心地域を眺望できる山頂で休んでいたら、約50人の団体が登ってきた。千葉県からのツアーという。大変なにぎわい。八甲田大岳山頂にいるような錯覚に陥る。

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97年新設されたトイレ(左)。右は避難小屋。奥は岩木山=1998年10月12日、白神岳山頂付近
 高校時代以来187回白神岳に登り、山の整備に深くかかわってきた岩崎村(現深浦町)教委生涯学習係長の西口正司さん(53)は「昔は無名の静かな山で登山者は年間100人程度だった。青秋林道問題で騒がれてから増え始め、世界遺産になってから急激に増えた」と言う。正確な登山者数は把握できないが、年間3,000−4,000人、うち県外が3分の2、多い日は1日に300人が登っているのではないか、とみる。

 山頂の避難小屋建設に奔走し、85年に小屋が完成してからは山仲間と白神倶楽部を組織し崩山−白神岳の縦走路の刈り払いなどを続けてきた西口さんだが、この登山者急増に戸惑いの表情を隠せない。「これまでは山頂にトイレが無いことが悩みだったが、今は駐車場が狭いのが悩み。シーズンになれば、駐車場から500−600メートルも林道に駐車の列ができ、バスなどは回転ができなくなる。登山大会などイベントを企画するとき、車の問題に一番神経を使う」と訴える。

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その名のように雪に包まれ白い姿を見せる白神岳の全景=1997年4月26日、二ツ森山頂から
 そして「ブームの日本百名山に入っていないので、パニックになるほど人は来ないだろうが、世界遺産が浸透するにつれさらに登山者が増えることが予想される。マナーの悪い人が増えるのが心配だ。きつい山なので、観光気分で登ると困るんだが…」と気をもんでいる。

 世界遺産ブームに沸く白神岳だが、昔からお山参詣で静かに登り続けている人たちもいる。岩崎村(現深浦町)の小さな集落大間越の人たちだ。旧8月1日に登っているが、97年は雨で中止。98年は深浦森林管理センター勤務の伊藤秀一さん(60)、自営業棟方広之さん(51)、役場勤務柴田一喜さん(47)、農協勤務菊池忠清さん(40)の4人が登る予定だったが、また雨で中止になった。

 以前は青年団が音頭をとり約20人が下の神社に泊まり込み、津梅川で水ごりをとり身を清めてから登ったが、青年団員がいなくなったため80年に青年団が解散してからは、当日に集合する簡略方式に変わった。

 大間越郷土芸能保存会の会員ばかりだと人数が少なくて寂しいため地区全体から参加者を募っているがなかなか集まらない。伊藤さんらは「時代が変わったのだろうか。若い人たちはお山参詣に関心が無いようだ」と残念がる。県外登山者でにぎわう白神岳の隠れた一面である。

<メモ> 山頂に待望のトイレ完成

 トイレが無く汚染が指摘されていた白神岳に県は1997(平成9)年9月、6,400万円をかけ山頂避難小屋の向かいにヒバ造りのトイレを建設した。最大の目玉は、し尿をヘリコプターで搬出すること。搬出は年1回の予定で、初の搬出は98年9月に実施。ヘリに小型バキューム機を積み込み、何回にも分けて搬出した。経費は330万円。4,000リットルの便そうに3,000リットルのし尿がたまっていた。太陽電池利用の臭気抜き装置もある。

(1998/12/12  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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