あおもり110山
(しかりがだけ  730.8m  鯵ケ沢町)
 
■ 貴重な植物 ひっそり生育

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がけをよじ登り、やっと足が立つ場所で見上げたら、せり出した岩の先端にアオモリマンテマがひっそり咲いていた=1997年6月23日
 白神山地の北の入り口で、荒々しい岩肌を見せ、びょうぶのようにそびえているのが然ケ岳だ。今は町がふもとにキャンプ場をつくり、のどかな雰囲気に包まれているが、一帯には悲しい歴史が刻まれている。

 1945(昭和20)年3月22日深夜。然ケ岳ふもとの鯵ケ沢大然地区と佐内沢地区の20戸が、赤石川上流からの洪水に襲われてほぼ全滅、99人のうち87人が亡くなるという惨事が発生した。

 生き残った人たちは、近くに家を約10軒建てて住んだが次第にいなくなり67年、最後の1戸が一ツ森地区に下がると、大然地区の歴史は完全に終わった。最後まで住んでいたのが、いま然ケ岳と向かい合う場所に建っている温泉宿「熊の湯」を経営している吉川隆さん(47)の一家だった。

 吉川さんは、ものごころがつくころから然ケ岳に入った。遊びではない。生活の糧を得るためだ。「とにかく水害から立ち直らなければならなかった。親からは『学校に行くより働け』と言われた」

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岩肌が荒々しい然ケ岳。下を赤石川が流れる=1997年6月23日
 ウサギ狩りは小学生のときから始めた。然ケ岳中腹にわなを仕掛け、朝まだ暗いうちから出掛ける。多いときは毎日10羽を捕り、売りさばいた。それらが一段落してから学校に行った、という。

 家の前を流れる赤石川から釣るアユも収入源だった。「1日に20−30匹釣った。当時のおかねで1匹150−200円。ちょっとした大人より稼ぎは多かった」

 幼いころから山歩きをしてきた吉川さんは、大人になってからも山と付き合う道を選んだ。中心になったのはクマ撃ちだ。白神山地の赤石川水系が吉川さんの主な猟場で、然ケ岳ではこれまで十数頭捕っている。97(平成9)年も4月に然ケ岳で、5歳ぐらいの雄グマを捕った。

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赤石川側の斜面は険しい。雪が遅くまで残る=1997年6月23日
 然ケ岳は、珍しい植物が生育していることで知られる。ナデシコ科のアオモリマンテマとミツモリミミナグサだ。とくにミツモリミミナグサは、県内ではここにしか分布していないという。それらを見よう、と正面のがけをよじ登った。

 目がくらむ急斜面を木や草につかまりながら、少しずつ登る。そして見上げた岩の先端にアオモリマンテマがひっそり咲いていた。その近くにミツモリミミナグサも白い花をつけていた。「以前は、けっこう多くあった。それが十年ほど前からどんどん盗掘され、今では生育している場所は、普通の人では行けない所ばかりになってしまった」と吉川さん。

 山頂には裏側から登る。途中まで道がついており、あとは気持ちのよいブナ林の中を、やぶをかき分けながら進む。正面の、岩肌が露出した荒々しさとはうって変わって、穏やかなたたずまいだ。こう配がゆるい広い尾根を歩いて行くと、ほどなく山頂に着く。やぶで眺望がきかない山頂に、二等三角点がぽつんと立っていた。

 「山を見ながら育ち、今も山を見ている。いや、山に見られているのかもしれない。自分にとって然ケ岳は空気みたいな存在だ。山はちっとも変わらないけど、赤石川は変わった。川の姿も水量も変わってしまった。山と川がちゃんとしていなければ生活できないんだ」。吉川さんは、すこし寂しそうに語った。

<メモ> 73年に新種として発表

 青森市の植物研究家の細井幸兵衛さんによると、アオモリマンテマが然ケ岳(水島正美さん採集)相馬村屏風岩(細井さん採集)暗門滝(高谷秦三郎さん採集)の3点の標本をもとに新種として発表されたのは1973(昭和48)年3月。東大の水島さんが発表の準備を進めていたが、亡くなったため恩師が代わって発表した。ミツモリミミナグサはかつてアオモリミミナグサと言われたが、今はミツモリ…が有力という。

(1997/9/27  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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