あおもり110山
(むかいしらかみだけ  1250m  深浦町)
 
■ 宝石箱のような植物群

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険しい山の姿が魅力の向白神岳。青森県の山でこのような山肌が見られる所はあまりない=1999年5月31日、吉ケ峰付近から
 吉ケ峰に向かって歩いていると突然、目の前が開ける。深く切れ込んだ谷。その向こうに壁のように直立する斜面。沢筋を埋めた残雪がまぶしい。時折、大きな音をたてて雪が崩れ落ちる。白神山地でこのような荒々しい山肌が見られる所は、そう無い。これが向白神岳だ。

 深い山だ。昔も今も人を寄せつけてこなかった。ごく一部の登山者とクマ撃ちの人たちを除いては。

 1963(昭和38)年からクマ撃ちを始めた深浦町の農業竹内正光さん(60)は長年、向白神岳からマツタノ沢など追良瀬川一帯にかけてを猟場にしてきた。毛皮は1枚10万−15万円、胆のう(クマのイ)は30万−60万円で取引され、竹内さんはそのお金を稲作の経費に充ててきた。

 しかし、このところクマ撃ちをやめている。「今は毛皮が売れないしクマを捕っても損をする」。おまけに向白神岳一帯は世界遺産になった。「向白神岳でクマを捕っていたころはいい時代だった」と竹内さんは振り返る。

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向白神岳山頂北側にある静御殿。やせた岩の尾根で、登山者には難所だ=1998年6月19日
 「あそこは、やぶがきつくて歩く所じゃないよ」と竹内さんが言う向白神岳に深浦営林署が65年、登山道を開いた。白神岳−向白神岳−一ツ森峠の長い尾根を縦走したい、という登山者の要望があり、とくに元岩木山岳会会長の故米谷茂夫さんが「道を開いた方がいい」と提言したためつくったのだった。

 翌66年、このルートを利用して国体登山競技の県予選会が開かれた。一ツ森峠から向白神岳、白神岳を経て白神岳西側の二股(また)でテント泊、という日程。選手として参加した菊地晶三さん(54)=青森市で登山用品店の「あすなろ山荘」経営=は「やぶが深いので道が無ければ大変なルートだ、と思いながら歩いた記憶がある」と話す。

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白神岳山頂付近から見た向白神岳。下の谷は笹内川源流=1999年3月21日
 しかし同ルートで国体予選が行われたのは、この1回だけだった。国有林の経営が急速に悪化し、刈り払いなど登山道整備に向ける余力が無くなり、登山道があっという間にやぶに戻ったからだ。向白神岳は再び、人を拒んだ。

 静かになった向白神岳一帯は植物の宝庫として知られる。シコタンソウ、リシリシノブ、エゾノハナシノブなど白神山地の中でもここだけにしか生育しない植物があるほか、貴重な植物が集中的に生き残っている。林野会計の赤字が、皮肉にも貴重な植物群を守ったのだ。

 白神山地の植物を長年研究している盛岡大学短期大学部教授の斎藤宗勝さん(55)は「尾根がやせており土壌のたい積が少ないこと、それに気象条件などから、一帯は白神山地の中で最も高山に近い。だから特異な植物が生育している」と分析する。そして「一帯は、白神山地の中では宝石箱のようなもの。キラリと輝くような植物が多くある。特別保護区のような扱いにして守ってほしい」と訴える。

 かつての縦走路は今、一ツ森峠から吉ケ峰までしか道が無い。その先は強烈なやぶが行く手を阻み、よほど体力があり、しかも時間がある人でないと向白神岳には行けない。当時登山道づくりに加わった深浦町の竹越恵蔵さん(62)は「向白神岳は白神山地の中では最もアルペン的な要素があり魅力あるが、道を復元すれば貴重な植物が無くなる。行きたい人は、やぶをこいで頑張るしかない」と話す。

<メモ> 「吉ケ峰」命名のいきさつ

 向白神岳北側の尾根筋に1,180メートル弱の山があり、吉ケ峰と呼ばれている。1970年、文化庁の白神調査が入り、植物班の東北大学教授吉岡邦二さん(1910〜77年)=植物生態学=がこの山頂に立った。吉岡さんがちょうど還暦を迎えたこともあり、調査団は「還暦記念として、この無名峰に吉岡の吉の字をとって吉ケ峰と名付けよう」と提案、同大教授で後の同大学長の加藤陸奥雄さんが賛成したのが命名のいきさつだ。

(1999/7/31  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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