あおもり110山
(くずれやま  940m  深浦町=旧岩崎村)
 
■ 斜面崩れ十二湖形成

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鶏頭場ノ池から望む崩山。十二湖形成の原因となった大崩壊地(大崩)が目を引く=1997年6月12日
 国道101号を通り深浦町から岩崎村(現深浦町)に入ると間もなく、白神山地がいきなり目に飛び込んでくる。その左側に、中腹が大きく崩れ落ちている山が目を引く。これが崩山だ。白神岳−大峰岳の縦走コースの北端に位置している山である。

 登山口は十二湖の鶏頭場ノ池のほとりにある。非常に気持ちのよいブナ林の斜面をジグザクに登っていくと、約1時間で大崩の上端に着く。ここで初めて眺望が広がる。眼下に十二湖の池が点在し、その向こうに日本海が広がる眺めは圧巻だ。

 崩山山頂には、ここから再び森の中に入り約30分で着く。南に白神岳が見えるだけで眺めはあまりよくない。

 十二湖は1704(宝永元)年5月27日午後1時ごろ、秋田県岩館付近を震源とするマグニチュード6.9の大地震で崩山が崩れてできたものだ。

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大崩の上端から見下ろした十二湖湖沼群。向こうは日本海=1997年6月12日
 当時の津軽藩御日記には「松神村(岩崎村松神)の川が地震の山崩れで埋まり、水が一切流れていない。山々が方々で崩れている」「木材の伐採などで山に入った人が山崩れで死亡した」など生々しい記録が残されている。

 地滑りや活断層を調べている山形大学教育学部の八木浩司助教授(地形学)によると、この地震で崩山の西側が大崩壊。4800万立方メートルの土砂が崩れ落ちた。これは東京ドームの39倍もの量で「地滑りの規模の大きさでは日本でも屈指といわれている」という。

 この土砂が現在の十二湖一帯にたい積し、くぼ地に水がたまったり、土砂が谷をふさぎその背後に自然ダム湖ができたりして十二湖が形成されていった。

 崩れた地質は、千数百万年前に日本海の拡大に伴って海底が割れ、そこから噴出した火砕流起源の凝灰岩。シラスといわれ非常にもろい。このため、規模は小さいものの今でも崩れ続けている。

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崩山山頂から見た白神岳。手前は大峰岳から派生している尾根=1997年6月12日
 岩崎村松神で民宿を経営している七戸弘子さん(66)は「大崩れの上に腰掛けていたら、そのまま崩れ落ち、下まで落ちた人がいる、と母から聞かされたものだ」と言い、深浦中教諭の鹿内善三さん(50)=同村松神=は「大崩の上は30年程前、幅約4メートルのテラスがあり大きな木が2本あったが崩れ落ちた」。また同村議会議長の秋元良雄さん(73)=同村松神=も「小さいころの記憶では大崩の上に鳥居とほこらがあったが崩れ落ちてしまった。今でもカラカラとかゴーッという山崩れの音が聞こえる」と証言する。

 かつて鹿内さんが寝そべったという大崩の上のテラスは今はなく、細い登山道の片側は鋭く切れ落ち目がくらむ。がけ側にロープが張られているが、思わず大崩の急斜面に引き込まれそうな気分になる。

 「正午になると崩れる、という言い伝えがある。カラコロというその音を鶏にみたてて『正午に鶏が鳴く』とも言われている」と秋元さんが教えてくれた。

 このことを八木助教授に開いてみた。「一般的に秋から春先にかけて、地表の水分が凍ったり解けたりすることで小規模に崩れます。日射がもたらされて以降の時刻に崩れます。西向きの斜面では多少遅くなるかもしれません」

 地元の言い伝えにもしっかりした科学的根拠があったのである。

<メモ> 登山口に大町桂月の句碑

 十二湖には名前が付いている池が33もある。十二湖の名の由来は、大崩の上から見ると池が12見えることによる。しかし、大崩の上の眺望場所が崩壊により次第に後退してきているため、今では12は見えないという。

 北前船が航行するとき、大崩の下の「日本キャニオン」を目印にしていた、と言われるが、大崩を目印にした、とは伝えられていない。登山口には大町桂月の句碑が立っている。

(1997/12/6  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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