あおもり110山
(くしいしやま  764.4m  鯵ケ沢町)
 
■ クマゲラが白神守る

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泉祐一さんがクマゲラを見つけた櫛石山南斜面の“クマゲラの森”。このように大地の直立したブナにクマゲラは穴を掘る=1997年7月23日
 「青秋林道を建設することによるメリットに疑問がある」。1987(昭和62)年の晩秋。北村正哉前知事のこの一言を境に、開発か保護か、で揺れていた青秋林道問題の流れは一気に保護に傾き、白神山地は世界遺産に登録されるまでになった。

 潮流を決定づけたのが知事発言だとすると、その発言が生まれた背景にあったのはクマゲラの存在だった。当時、壁に当たっていた白神保護運動は、天然記念物のクマゲラが白神山地で見つかったことにより「クマゲラを守れ」と勢いを盛り返した。そして今もクマゲラは白神山地のシンボルであり続けている。

 白神山地櫛石山でクマゲラを見つけたのは秋田県自然保護課主幹の泉祐一さん(51)。83年10月のことである。

 白神山地保護運動が全国的な広がりを見せはじめた同年、日本自然保護協会は「白神の奥地を調べてみよう」と調査隊を組繊、泉さんは誘われた。泉さんは75年、秋田県森吉山で本州初のクマゲラを発見、これがきっかけとなり森吉山のブナ林300ヘクタールが残った。同協会は泉さんの眼力に期待したのだった。

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櫛石山南尾根から望む櫛石山全景。尾根のブナにはマタギのナタ目が多数ある=1997年7月21日
 泉さんが櫛石山南斜面のブナ林に差し掛かったときのことである。「おやっ」と感じ、考える前に足が止まった。「森の様子が違う。木がすーっと伸びている。クマゲラの住みやすい環境だ」。森吉山の森とだぶって見えた。すぐ木を1本1本調べた。案の定クマゲラのねぐら穴が2つ見つかった。「しめた!」。気持ちが高揚した。

 穴を見つけたことで満足していたら午後4時すぎ、クィーンクィーンと鳴きながら、雄のクマゲラが飛んできた。思わず心の中で「やったあ」と叫んだ。そして「これで白神保護運動にはずみがつく」と予感した。

 白神山地でクマゲラ発見−のニュースは瞬くうちに広まった。泉さんの予感通り保護運動にはずみがつき、以後、運動は攻勢に転じた。この森は“クマゲラの森”と呼ばれ白神山地を代表するポイントになった。

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自然保護の名目で車両がシャットアウトされた奥赤岩川林道入り口。林道は廃道になりつつある=1998年6月21日
 青森営林局は86年10月、クマゲラの森一帯約700ヘクタールの伐採を見合わせることを発表した。これは大きな意味を持っていた。すぐ近くまで迫っていた奥赤石川林道(クマゲラの森は同林道のルート延長上にあった)の建設をやめることを意味していたからだ。青秋林道中止の露払いとなり、白神保護の歴史で大きな位置づけを持つ出来事になった。そして営林局は白神山地に森林生態系保護地域の網をかぶせブナ伐採を自粛、これが冒頭の知事発言につながっていったのである。

 「クマゲラがいるということは本物の環境が面として残っているということ。なんとかこの森を残したかった。それまでも林野庁とブナ林保護で闘ってきたが勝てなかった。唯一林野庁が譲歩したのは森吉山だった。白神でもクマゲラしか手段がなかった」と泉さん。クマゲラ発見が白神保護につながったことについて「ブナ林が残ったのは感無量だった。クマゲラが見つからなければ保護運動は苦しい展開を余儀なくされたのではないか」と振り返る。

 櫛石山の名は一躍広まったが、山頂を踏んだ人はあまりいない。やぶをこいで山頂に行ってみた。リョウブが密生している台地に三等三角点がひっそりと埋まっていた。

※北村正哉前知事の「哉」は本来は「哉」の異体字

<メモ> 登山アクセス道は車禁止

 かつて櫛石山は、白神山地に入山する際のメーンルートだった。旧弘西林道から奥赤石川林道を南に下ること約11キロの地点が登山口。ここまで車で来ると容易に白神山地の核心部に入ることができた。が、93(平成5)年に世界遺産に登録されてから、青森営林局は自然に負荷を与えないため、林道入り口にゲートを設けて車を締め出した。これに対し、自由な入山を求める人たちが反発、ゲートは入山規制問題の象徴となった。

(1999/5/29  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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