あおもり110山
(がんもりだけ  986.7m  西目屋村・秋田県藤里町)
 
■ 岩木川が端を発する

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なかなか見られない雁森岳全景。この下から岩木川が始まる=98年4月5日、西目屋村・鯵ケ沢町・秋田県藤里町の3町村境界峰から
 雁森岳の山頂は、切り立っていた。想像をはるかに超える険しさだった。

 山頂部の幅は1メートルも無い。高さ400メートルの平均台の上にいるような錯覚に陥る。しかも南側(秋田県側)に、雪のひさしが大きくせり出している。ひさしが無い部分でも、雪が三角形のようにとんがって積もっており、足場を確保するのに苦労する。

 とくに秋田県側は90度近いがけで一気に切れ落ち、岩肌が露出している。風雪に耐えて岩のすき間に根を張っているハイマツの緑が、周囲の残雪に映えて目にまぶしい。本県側も急斜面だ。谷底に向かって、雪玉が転げ落ちた筋が何本も見える。思わず引き込まれそうになる。

 この雁森岳が、岩木川の源なのである。

 長さ102キロ、流域面積2540平方キロ。県内最大の川岩木川が端を発する山を訪ねてみよう、と計画してから3回目で山頂に立つことができた。1回目は1997(平成9)年4月下旬。天候に恵まれず途中で引き返した。同年5月中旬、再挑戦したが、やぶに行く手を阻まれ、また撤退した。雁森岳は遠い。

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雁森岳山頂付近から谷を見下ろす。ここが岩木川の源流だ=98年4月5日
 雁森岳に通じる登山道は無い。夏はやぶで進めないため残雪期に雪の上を歩くのが一般的だ。白神山地のほぼ中央に位置し指定ルートから外れているため、営林署から入山許可をもらい98年4月上旬、三たび山に向かった。

 秋田県側から入った。青秋林道を登ったが、暖かさのため雪が緩み、かんじきを履いていてもひざまで潜る。6時間かかって県境に着き、そこで雪の上にテントを張った。

 翌日は早朝から濃霧に包まれた。とりあえず二ツ森に登って様子を見た。しばらくしたら、奇跡的に霧が晴れた。白神山地世界遺産地域が見渡すかぎり広がっていた。

 二ツ森から県境の尾根を東に進んだ。地図で見ると一本の立派な尾根のように見えるが、実際はさまざまな方向に尾根が枝分かれしていた。地図とコンパスを使い、さらに山並みを眺め場所を確認しながら進み、テントから4時間で山頂に達した。

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雁森岳を目指して、青森・秋田県境の尾根を行く=98年4月5日
 岩木川の源に行ってみたい−。そう思っている人は少なくない。建設省東北地方建設局津軽ダム工事事務所長の金内剛さん(45)もその一人だ。20年近く前、青森工事事務所に勤務していたころから岩木川にかかわり、雁森岳は気になる存存だった。「文章を書くとき何の気なしに『岩木川は雁森岳に端を発し・・・』と書き始める。でもいったい、どんな所か、と」

 97年、西目屋村の津軽ダム工事事務所に赴任、雁森岳が近くなった。すぐ「行きたい」と言ったが「簡単に行けない。あきらめろ」と言われた。ますますファイトがわいた。「藩政時代から為政者は岩木川を守るため、山を大切にしてきた。ダムは人と自然との調和を前提にしている。その山を知らずに議論することは恥ずかしいことだ」

 金内さんは98年春、残雪期を狙って登頂を計画した。が、思いのほか雪解けが早く、登頂計画を断念した。「岩木川に携わる者として、登れるまで挑戦し続けたい」。熱い思いはますます募る。

 厳しい表情を見せる雁森岳だが、山頂のやわらかい風は春の訪れを告げていた。季節は雁森岳に張り付いている雪を解かし、それが岩木川の一しずくになる。

<メモ> 地図に雁森岳の名は無し

 雁森岳は長年、地図にその名をとどめてきたが、1969(昭和44)年の5万分の1の地図では「雁森岳(泊岳)」と記されたため論議を呼んだ。そして混乱を防ぐため74年の改訂版地図からは山名が消えた。一方、西目屋村のマタギは二ツ森を「泊岳」、雁森岳を「トッチャカ」と呼んでいる。また国土地理院の三角点名は二ツ森が「泊岳」、雁森岳が「突坂」となっており、マタギの呼び名と一致している。

(1998/5/16  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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