あおもり110山
(ふたつもり  1086.2m  鯵ケ沢町・秋田県藤里町)
 
■ 白神の観光客運ぶ林道

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二ツ森山頂から見た本県側の白神山地世界遺産地域。一番奥の山塊の左が白神岳、右は向白神岳=97年4月26日
 「それまでは道がほとんど無く、山頂まで3時間半もかかった。登る人はマタギかタケノコ採りぐらいしかいなかった」。秋田県八森町企画振興課課長補佐の辻正英さんが、青秋林道建設以前の二ツ森の状況を教えてくれた。

 二ツ森は、県境稜(りょう)線上にある山で、白神山地のほぼ中央に位置している。本県からは果てしなく遠く、アプローチが容易な秋田県側ですら登る人がほとんどいなかったが、白神山地保護運動が全国に広がるにつれ一躍、白神山地の中で著名な山の一つになった。

 それは、引きも切らずに訪れた視察団、調査団、取材陣が白神山地を眺望する際、必ず秋田県側から二ツ森に登ったからだ。本県側と秋田県側の白神山地核心部を一カ所から見るには、二ツ森が最も適していたのだった。

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青秋県境に立って見た秋田県側青秋林道の終点=97年10月4日
 西目屋村と八森町を結ぶ青秋林道は、青森、秋田の両県が、林業や観光の振興を目指して1982(昭和57)年から建設を始めた。が、世界最大規模のブナ原生林を横断するのは問題だ、と強力な反対運動が展開された。

 反対運動のさなかも林道建設は行われた。新規建設の本県側の進行度は遅かったが、既存の林道を利用して建設した秋田側はぐんぐん進み、1987年にはついに県境まで達した。しかし秋田県側の青秋林道は県境から本県側に入ることはなかった。白神保護が決定したからだ。

 青秋林道終点から二ツ森山項まで約40分しかかからなくなった。わずかな時間で白神の大眺望が得られる利点を八森町は見逃さなかった。そして素早く対応した。

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山が二つに見える二ツ森。左が山頂=97年5月12日、秋田県側青秋林道付近から
 87年から秋田県側青秋林道12.665キロの舗装を始めたのだ。八森町建設課主任の三浦一也さんは「林産物の搬出と観光道路のため」と言うが、観光が主目的だったのはいうまでもない。最初の4年間は町が国の補助を受け、続く5年間は秋田県が主体になり、95(平成7)年に全線の舗装を終えた。舗装費は総額3億7400万円だった。こうして秋田県側白神観光の動脈が完成した。

 二ツ森登山者数は飛躍的に増えた。「新聞で取り上げられると、登山者数はぐんと増えた」と辻さんが言う通り、85年当時は年間の登山者数が300−500人程度だったものが、白神が森林生態系保護地域に指定されてから2000人、世界遺産に指定されてからは2万人を数え、ピーク時には林道終点の駐車場は30台の車で満杯になった。

 このまま車が増え続けると擦れ違いが困難になる。「将来的には車両を規制しシャトルバスの運行を考えなければならないかも」と辻さん。また、従来型の大人数観光ではなく、小グループ・体験型−をキーワードに白神観光を進めていく考えだ。

 が、観光動脈といっても規格は林道のまま。道幅は4メートルと狭く、舗装も一層だけだ。その結果97年春、さほどの積雪量でないのに20カ所で路肩が決壊、うち10カ所が交通に支障をきたし春から10月末まで、4500万円をかけて補修した。

 町は、当面はこのままでいく、というが、かつて青秋林道反対運動が起きたとき、反対側の主張の一つであった「急しゅんな山に造る林道は、雪による損壊が避けられず、恒常的な補修費は財政を圧迫する」が思い出された。

<メモ> 世界遺産を生んだ保護運動

 青秋林道建設に対し、青秋林道に反対する連絡協議会(会長は初代奈良典明、二代三上希次、三代村田孝嗣の各氏)などが強力に保護運動を展開。その結果白神山地は1990(平成2)年3月に森林生態系保護地域、92年7月に自然環境保全地域、93年12日に世界遺産に指定され、わが国の自然保護運動史に歴史的な1ページを記した。二ツ森の名は、秋田県から山が二つ見えるため。西目屋村のマタギは泊岳といった。

(1998/1/17  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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