あおもり110山
(さんかくやま  282m  風間浦村)
 
■ 漁業者が恩恵受ける

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大漁旗が風にたなびく下で、三角山に見守られながら行われた下風呂小学校の運動会=1998年5月31日
 風間浦村の下風呂小学校を初めて訪れた人の多くは「おっ」と思わず息をのむ。校庭からいきなり立ち上がっている三角山に、なにかしら非日常的なものを感じるからだ。

 が、それはあくまでも部外者の印象にすぎない。学校では、他と変わらない日常的な生活が営まれ、子供たちは山に対し特別な感慨を持っていない。山の風景は、そこに暮らす人々にとってごく当たり前のものなのである。

 同小は旧校舎が老朽化したため1994(平成6)年、現在地に移転した。山が間近に迫っていることから時々、体育の時間などを利用して登山が行われてきた。97年は5年生が4月下旬に登った。計画した担任教諭田中道介さん(29)は「自分たちが住んでいる地域の山に登らないのはいかがなものか。将来『あの山に登ったんだよ』と自分の子供に言えるようになればいい、と考えた」と動機を語る。

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三角山の山頂部はあまり広くない。樹間からわずかに下風呂小学校が見える=1998年8月23日
 子供たちは、登山の印象について「山頂はどうなっているんだろう、とずっと思っていたが、意外に狭かった」「山項から学校がけっこう大きく見えた」「一回ぐらい登りたいと思っていた。想像していたより高い山じゃなかった」「疲れたのが思い出に残りそうだ」と話してくれた。

 田中さんは98年も登山を計画しようとしたが、校庭の近くでクマのふんが見つかったことから実現しなかった。

 同小校長の木村信隆さん(58)は、赴任してきたときの第一印象を「絵になる美しさに、すごいなあ、と驚いた。そこに自分が過ごせることを幸せに思い、美しい山に接すると、みんな仲良くできるんじゃないかな、と思った」と振り返る。そして「講話などの際、つとめて三角山を持ち出して話している」という。

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急な斜面を木につかまりながら登る登山者たち=1998年8月23日
 三角山は下風呂の沖合からよく見える。当然、漁の目印になる。漁師は、山などを目印に漁のポイントを探し出すことを「山目を立てる」という。下風呂地区の漁業橘幸一さん(76)も山目を立てるとき、三角山やその周辺の地形を利用している。

 「海中の根(岩)に魚がつく。根を多く知っている人は釣果が上がる。また、釣り針が岩に引っ掛かる場所も知っていなければならない。これらはすべて、山目で判断している」と橘さん。高等小卒業と同時に父から漁を教わり、山目の立て方(山の利用の仕方)も学んだ。この山目の立て方は人によって異なり、肉親や知人から得た情報に自分の経験を加味し、自分のものにしていく、という。

 漁業は長男が継いだ。長男が中学校を卒業したとき、橘さんは、自分の父がそうしたように、それまで自分が蓄積してきた山目の立て方を長男に伝授した。

 橘さんがいま持っている船はイカ釣り船と磯舟(いそぶね)各一隻。イカ釣り船は長男に任せ、自分はもっぱら磯舟を操っている。漁域は沿岸から四キロ沖合まで。それより遠くなると、目印に使う山が見えなくなる、という。こうして三角山などの恩恵を受けながらアブラメ、ソイ、ヒラメ、カレイなどを釣っている。

 「三角山は身近な山だからふだん考えないが、朝にイカ釣りから帰ってきたとき沖から三角山が見えた途端、なんともいえない安心感を覚える。いい山を見れば、知らず知らずのうちにそういう気持ちになるんだね」。橘さんは優しい目をしてそう語った。

<メモ>ユニークだった花見行事

 風間浦村下風呂地区の子供たちはかつて、三角山で 「花見」と称する行事を楽しんだ。釈迦の誕生日の4月8日にちなんだもので、1力月遅れの5月8日に行われた。子供たちは、花見の1力月前から三角山山ろくの木の上に板で“城”づくりに励み当日、三角山に登った後、樹上のとりでに上がり、ごちそうやお菓子を食べて遊んだ。「花見」は約25年前にすたれた。下風呂小校庭付近には以前、硫黄精錬所があったという。

(1998/11/21 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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