あおもり110山
(おりとやま  119.1m  風間浦村)
 
■ 風車と戦争の遺構同居

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なだらかな折戸山。これが本州最北端の山だ。2基の風車が目を引く=98年4月11日、大間牧場から
 青森県最北端の山、すなわち本州最北端の山はどこか。2万5000分の1の地形図を見た。風間浦村の折戸山だった。最北端。どこか哀愁が漂う響きだが、行ってみたら中腹に巨大な風車が2基立っていた。折しも強風。ぎゅるぎゅるぎゅるとうなりをあげて羽根が回っていた。

 立てたのは東京のエコロジー・コーポレーションとミツヤ不動産。高さ36メートル、羽根の直径が31メートルもあるデンマーク製だ。まず1996(平成8)年11月に1基が完成、97年5月から運転開始。次いでエコロジー・コーポレーションの関連会社で売電事業を担当しているエコ・パワー(本社・東京)が同年12月、2基目を建設した。建設費は1基1億円。

 エコ・パワーの取締役事業推進部長の黒沢徹さん(33)は「大間灯台の風力データを持っていたので、最初は大間町に話を持ち掛けた。ところが原子力発電所計画と重複するので、と断られた。そのとき折戸山を見上げたら適地とひらめいた」と下北半島での風力発電1号機建設のいきさつを語る。

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上の風車が立っている所から見た大間崎と津軽海峡=98年4月11日
 折戸山の年間平均風速は秒速8.6メートル。風車は風速2メートルから回り発電量は1基当たり年間100万キロワット。2基で600世帯分の電力を賄う。風車は一般配電線と直結、電気は風間浦村と大間町の一部に供給されている。検針は風間浦村蛇浦の前田亮さん(53)が担当、2基の東北電力ヘの売上高は年間2800万円になる。

 黒沢さんは 「いつまでも石油エネルギーにばかり頼ってはいられない。これからは風力発電の時代。いま当社は、全国に35基の風車を持っているが、折戸山は世界最強の風。当社の稼ぎ頭です」と評価する。「近くに送電線があると、もっと多くの風車を立てられる」と言うが、配電線しか無いため今のところ、2基が限界だ、という。

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折戸山山頂にある大間要塞折戸観測所の遺構=98年4月11日
 風車からの眺めは良い。大間崎、津軽海峡、北海道がよく見える。風車が立っている場所は蛇浦地区の共有地。建設を許可した蛇浦自治会長の若佐孫光さん(75)は「風車を少なくても30本は立ててもらいたい。本州最北端の山、風車群、眺望などを組み合わせれば観光地になる。遊歩道整備を望んでいる」と話す。過疎の村の宝の山、といった口ぶりだ。

 風車から雑木林の中に細々とついている踏み跡道を歩いたら、数分で山項に着いた。そこには分厚いコンクリートの遺構があった。むつ市在住の軍事史学会会員、飛内進さん(65)によると、戦時中の大間要塞(ようさい=函館市にあった津軽要塞司令部に所属)の折戸観測所の跡だ。大間要塞は28(昭和3)年に完成したから折戸観測所もこのころ出来た、とみられる。

 津軽海峡に向けられた大間要塞の砲台は低地(現大間高校隣接地)にあったため、折戸山山頂に観測所を設け敵艦を監視、戦闘のときは着弾の位置などを通報する任務を持っていた。観測所と砲台は有線と無線で連絡を取り合っていた。

 飛内さんは「折戸山の遺構は、江戸末期から太平洋戦争末期まで、本州最北端の警備に当たった人たちをしのぶ貴重な遺産なので、保存・整備すべきだ」と訴えている。

 科学技術の粋を集めた最新式の風車と、戦争の遺構が同居する折戸山。本州最北端の山に二つの顔がある。

<メモ> 砲火を開かなかった要塞

 むつ市の飛内進さんによると大間要塞は1927(昭和2)年に開隊、兵力は約200人。要塞砲は、日露戦争後に就役しワシントン軍縮で廃艦になつた一等巡洋艦「伊吹」搭載の30センチ砲1基(二門)。「海峡に敵艦が現れた場合、陸から迎撃するという日露戦争の戦訓に基づいて整備されたが、航空機からの攻撃が主流になったため大間要塞は時代の流れに取り残され、砲台は一度も砲火を開くことはなかった」と飛内さんは話す。

(1998/6/6 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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