あおもり110山
(おおづくしやま  827.7m  むつ市・大畑町=現むつ市)
 
■ 復元された恐山参道

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大尽山山頂から見下す宇曽利山湖。その向こうに見えるのは大畑町の町並みと津軽海峡だ=1997年9月4日
 恐山の賽の河原に立つと正面に、きれいな三角形をした山が見える。宇曽利山湖越しにそびえる山は、あまりに整った容姿をしており、非現実的ですらある。この山を眺めてから賽の河原を見ると、荒涼さが一層引き立ち、軽いめまいを覚える。

 この三角形の山が大尽山だ。山の西斜面にある峠を通る道がかつて、川内町の人たちが恐山を訪れる際に利用した恐山参道だ。この道を63年前に歩いた同町の菊池ヨシさん(75)に会った。

 菊池さんは川内尋常高等小6年のとき、1泊遠足でこの道を通り恐山に行った。わらじを履いた約30人の子供たちは朝7時に川内町を出発、元気に約15キロの道を歩き通し昼ごろ、恐山に着いた。

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恐山賽の河原から宇曽利山湖越しに見える大尽山。三角の形が印象的だ=1997年9月4日
 死者は恐山に行く、といわれていたことから、引率の先生はこんなことを子供たちに言ったという。「この道をちゃんと覚えておかないと、死んだときに迷うよ」。この言葉は強烈で、菊池さんは必死に道を覚えながら歩いた。が、「今は忘れてしまった」。翌日は大湊に歩いて下り、大湊から船で川内に帰った。

 昔、農家は豊作を願って恐山参りをしたという。菊池さんが住んでいる谷地町地区でもかつて、当番制でお参りした。菊池さんの姉が数人の当番とともに、大尽山の近くを通ってお参りしたのは昭和初期のことだった。

 小さな団子、ソバ、ヒエ、アワなど五穀を持って恐山で豊作の祈とうをしてもらい、その一部を持ち帰り各農家に配布。農家はこれを田畑にまいて豊作を祈った。日帰りで恐山を往復した人もいた、という。

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ヒバ林を縫う恐山参道を歩く登山者=1997年9月4日、宇曽利山湖−峠の間で
 「バスが通るようになってからは、歩いて恐山に行かなくなったようだ」と菊池さん。下北交通が恐山−田名部に定期バスを走らせたのは1937(昭和12)年8月21日からだった。

 人が歩かなくなった恐山参道は、やぶに覆われていった。宇曽利山湖−峠の間はむつ営林署が定期的に道を刈り払ってきたが、峠−川内町間は歩くのが困難になった。しかし、同区間には六体地蔵があり「地蔵さまを拝みたいので道を復元してほしい」という人や「恐山参道のルートを知りたい」という歴史愛好家の問い合わせがしょっちゅう川内営林署に寄せられた。

 この道は観光面で価値がある、と考えた町役場は、営林署や県に復元を要望。その結果、営林署と町は97年と98年の2年にわたって川内町側のルートを刈り払い、復元させた。これを記念し98年10月24日、町、営林署、町観光協会が企画した「第1回恐山西参道の旅」が催され、同町から参加した10人が、古道の雰囲気を楽しんだ。

 同営林署次長の村岡康博さんは「国有林野財政は非常に厳しいが、地域のために毎年町と営林署が協力しあいながら道を整備していこう、ということになっている」と話している。

 この恐山参道を歩いて大尽山に登ってみた。大尽沢からヒバとブナの林を縫う道を約1時間半歩くと一体地蔵がある峠に着く。ここから尾根沿いに急斜面を約30分登ると山頂に出る。360度の大パノラマ。とくに北側が圧巻だ。眼下に宇曽利山湖が全部見え、その向こうに大畑町の町並み、津軽海峡、北海道−。あまりの眺望の良さにぼう然と立ち尽くすだけだった。

<メモ> 北側に生態系保護地域

 林野庁は大尽山山頂から北側に広がる森を1995(平成7)年3月、恐山山地森林生態系保護地域に設定した。一帯の森は、ヒパ主体の林やヒパとブナの混交林があり、標高が高くなるにつれブナ純林に移行する、という下北・津軽半島の典型的な林相を見せていることから保護地域に設定された。設定面積は「1,186.8ヘクタール(うち保存地区708.7ヘクタール、保全利用地区478.1ヘクタール)。保存地区では人手を加えず、保護する。

(1999/1/22 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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