あおもり110山
(かまふせやま  878.6m  むつ市)
 
■ レーダー基地で空守る

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釜臥山山頂付近の展望所から見たむつ市街地。夜になるとアゲハチョウが羽を開いたような形に見える=1997年10月23日
 下北半島最高峰の釜臥山。山頂は登山者や眺望を楽しむため訪れた観光客でにぎわう。が、市街地や陸奥湾を一望のもとに見渡せ、尻屋崎の方まで見えるのどかな風景とは裏腹に、山頂には航空自衛隊のレーダーがそびえ、訪れる人たちをたじろがせる。監視カメラにもどきっとさせられる。平和慣れした人たちに防衛の存在をあらためて認識させる前線基地なのである。

 釜臥山レーダー基地は1954(昭和29)年8月、米軍が全国のレーダー網設置の一環として建設。60年6月30日に空自が引き継いだ。現在使われているレーダーは79年に更新したものだ。空白第42警戒群の要員約200人が交代で基地に詰め、領空に国籍不明磯が侵入しないかどうか、と監視の目を光らせている。このようなレーダー基地はいま、日本に28カ所ある。

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むつ市の背後にそびえる釜臥山=1998年4月11日、むつ市田名部川河口から
 不明磯が侵入しそうな場合、バッジ・システム(コンピューターを駆使した自動警戒管制組織)が働き、スクランブル(緊急発進)した迎撃磯が確認する一方、システムの敵味方識別装置などが起動する。敵機の場合、領空外に出るように警告するが、警告を聞き入れない場合は、要撃戦や地上のミサイルで撃退する。これが大ざっぱな防空態勢だ。

 第42警戒群の上部組織の北部航空警戒管制団司令部(三沢)を訪ね、日本の防空体制の中での釜臥山レーダー基地の位置づけをどう認識しているのか、と聞いてみた。応対した幕僚からは「各地のレーダーはそれぞれ、オーバーラップしながら機能しているので、どの基地も重要です」という答えが返って来た。

 さらに「釜臥山のレーダーの探知能力は?」「せんだっての北朝鮮の“テポドン”をキャッチしたのか」「76年のソ連ミグ戦闘機の函館空港亡命事件のとき、キャッチできたのか」と聞いてみたが、幕僚は「言えません。分かりません」。前線基地の緊迫感が伝わってくる。

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釜臥山山頂に立っている航空自衛隊のレーダードーム=1997年9月21日
 日本の軍事通信の第一人者で元秋田大学教授の佐藤裕二さん(72)を秋田市に訪ねてみた。佐藤さんによると、侵入機は超低空で飛ぶのでレーダーではなかなか捕まらず、ミグ戦闘機事件のときもキャッチできなかった。「当時、防衛庁は地上レーダーを補うためE−2C(早期警戒磯)の導入を計画していたが、ミグ事件で導入が早まったいきさつがある」と言う。また「釜臥山基地は、対空通信機能が整っており、日米合同演習のときも米軍が入るなど、よく使われている施設だ」。

 防衛計画大綱によると、レーダー基地の警戒群を一部警戒隊に縮小する動きがあるが、軍事情報誌「航空ファン」によると、三沢基地の防空指令所の機能が停止した場合、機能を代行できるのは北部管制団の9カ所のレーダー基地のうち釜臥山と北海道の当別の2カ所だけなので、これらは警戒群として残るだろう、と分析している。

 通算14年にわたって釜臥山レーダー基地に勤めた隊員に会うことができた。「冬の交代勤務はきつかった。秒速30メートルの強風、気温氷点下15度、積雪2メートル。飛ばされないように、隊員全員がザイルで体を結び合い、歩いた」と言ったあと「空の守りの第一線に立っている、という誇りと責任感で勤務しました」。自負心が表情にのぞいた。

<メモ> 今に残る「山かけ」行事

 釜臥山から見るむつ市街地の夜景は有名だ。アゲハチョウのような形をしている、と宣伝され市は1992(平成4)年、山頂付近に2階建ての展望所を建設した。また、釜臥山は「山かけ」の対象になっており、最盛期の明治時代から戦前までは 下北地方の各村落ごとに8月13日に登り、願をかけた。今では山かけをする人が少なくなり、毎年登っているのはむつ市大湊川守地区だけで、同上町地区は何年かに1回登っている。

(1999/1/8 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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