あおもり110山
(がっさん  419.2m  六ケ所村)
 
■ 女人禁制の名残今も

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六ヶ所村泊地区の後背地にそびえる月山。地区の「心のよりどころ」にふさわしい山容だ。手前は泊漁港=1997年7月12日、中山崎から
 「この鳥居から向こうは女性が行けなかったんです」。六ケ所村泊の漁業三浦末松さん(58)が言った。なるほど、同行した女性8人は、鳥居の外に座り、貴宝山神社奥宮の草刈りに出掛ける男性陣が戻ってくるのを待っている。火星に探査磯が着陸する時代になっても、ここには女人禁制の名残があった。

 1997(平成9)年7月12日。この日は六ケ所村泊漁協の休漁日。それを利用して、月山登山道の刈り払いをしようというわけだ。7月20日は同神社の例大祭で、月山中腹にある奥宮に参けい客が各地から訪れる。その人たちが歩きやすいように草を刈るもので、長年続いている地区の恒例行事だ。

 参加したのは男女約25人。午前7時に同神社を出発した。草刈り機6台やかまを手に持ち、休憩を繰り返しながらゆっくり登る。毎年刈り払っているため、登山道はしっかりしており歩きやすい。それでも、より歩きやすいように草を刈ろうという漁民の心意気が伺える。

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山頂付近から見下ろす眺望は雄大だ。泊の集落がよく見える=1997年7月12日
 いったん山頂に登り、草を刈りながら下る計画だ。女性は、奥宮入り口の鳥居前に待機、男性陣が上をめぎす。2時間かけて登った山頂は眺望がきかないが、直下からは、泊の集落、長く延びる砂浜、太平洋が見渡せる。レーダーが無い時代、泊地区の漁船は月山を目指して帰港した、というのも実感としてうなずける眺望の良さだった。

 鳥居まで戻ってきた。女性を残し、急な坂を約10分下ると奥宮に着く。奥宮の前でみんな、沢の水で手を洗い口をすすいで身を清める。

 奥宮一帯には、さい銭が散乱していた。なんと「寛永通宝」だ。貴宝山神社は1669(寛文9)年に広貞上人が開いたといわれ、古くから信仰されている。とくに漁業関係者の信仰が厚く、八戸市や岩手県からも参けいに訪れる、という。地区の人は「昔、八戸の人たちは、白装束に身を包み、海に入って身を清めてから山に登ったものだ」と思い出を語る。

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参けい客のための登山道刈り払い。年に1回の恒例行事=1997年7月12日、山頂付近
 鳥居まで戻ると、待っていた女性陣は、昼食や飲み物を振る舞う。「私も奥宮まで行ってみたいけど、駄目だと言われているので」と女性の1人。三浦さんは「数年前から女性でも奥宮に行く人がいるが、多くの女性はしきたりに従って行かない」と言う。

 このほか、家に不幸があったら3年間は登山は駄目というしきたりが最近まであった。今は、親、きょうだいが亡くなったときは1年、親せきの場合は100日、登山を自粛している、という。漁業関係者は、危険と隣り合わせの仕事をしているため信仰に厚く、しきたりを重んじているのだろう。

 登山道の両側にはほこらがびっくりするほど多く建っている。三浦さんは「22ある、と聞いている」と言い、村郷土館は「50以上ある」と話すが、この日は13しか確認できなかった。

 出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)、薬師如来、大山祇、一ノ字、三方荒神、御宝、魚藍観音などがまつられている、というが、どのほこらが何なのかは分からない。全国的に知られる山形県の月山のゆかりの山であることが分かったため、ぜひとも出羽三山のほこらを探したかったが、残念ながら見つけることができなかった。

 このほか、個人が奉納したほこらも多い。いずれも漁業関係者である。

<メモ>しきたり解いた明治政府

 信仰の山は女人禁制だった。そのしきたりを解いたのは明治政府だった。同政府は1872(明治5)年3月27日、太政官布告第98号「神社仏閣の女人結界の地廃止・登山参詣自由たるの件」で、女人禁制を解除した。山形県羽黒町の出羽三山神社は「信仰の厚い人が各地に神社を開いたり、月山に登れない人のために各地に神社を開いたのだろう。が、それらの神社と当神社の交流は無い。六ケ所村の月山は知らなかった」という。

(1997/08/16 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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