あおもり110山
(ふっこしえぼし  507.8m  横浜町・六ケ所村)
 
■ 花と眺望で人気集める

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菜の花畑の向こうに立つ吹越烏帽子。菜の花も山も横浜町のシンボル的な存在となっている=1997年5月13日
 下北半島を“まさかり”に例えるなら、柄の中央部にあるのが吹越烏帽子だ。

 眺めが良い、花を楽しめる、短時間に楽に登れる−。ハイキングとしては三拍子そろった山だ。だから年齢を問わず多くの人たちに人気があり春夏秋、訪れる人たちでにぎわっている。

 眺めが良いのは中腹から上に高い木が無いため。風が強く気象条件が厳しいことから、標高が低い割に高い山の様相を見せている。山頂から南側を見ると圧巻だ。左に六ケ所村と太平洋、右に野辺地町と陸奥湾が見える。“まさかり”の柄の付け根部分。地図を実感する眺めだ。

 花は、春はアズマギク、ヤマツツジの群落、秋にはコハマギク、ウメバチソウなどが楽しめる。吹越烏帽子の植物の特異性の紹介に力を注いだのが三沢五中校長の相馬昭夫さん(59)だ。

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山頂下で鮮やかに咲くヤマツツジ=1997年6月11日
 相馬さんは理科が専門。横浜中の教頭・校長時代、吹越烏帽子に暇を見つけては登り、植物、動物、鳥などの調査を続けた。毎年の山開きの際に開かれた町民登山の講師も務め、参加者に吹越烏帽子の自然を紹介した。

 このとき参加者に配ったのが吹越烏帽子の自然の見どころを解説した春用、夏用、秋用の3種類のパンフレット。相馬さんの調査の集大成だ。「あの山は、寒い地域と暖かい地域の植物が共に分布している不思議な山。宝の山です。地元の人たちは宝があっても分からない。それを教えるのが私たちの責任なのです」と相馬さんは振り返る。

 山開きの際の町民登山を計画したのは町学校給食センター所長の秋田雅敏さん(58)だ。「当時、菜の花の作付面積は今の4倍もあり、山頂からの眺めは素晴らしかった。ヤマツツジも見事。これらを町民に楽しんでもらおう、と町教委主催で始めた」。1961(昭和36)年のことだった。そのころ、町が音頭をとる登山は、県内でも珍しかった。

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山頂付近に群落をつくっているアズマギク=1995年5月27日
 秋田さんは、この町民登山にほとんど参加し裏方さんを務めた。最初のころ、車が無かったため、参加者を登山口まで役場のトラックで運んだという。山頂で昼食をとっていたら猛烈な雨と雷に襲われたことも。「このときは焦った。傘や缶ビールなど金属類を投げ捨て急いで下山した」。思い出の一こまだ。

 30数年間続いた町民登山だが、98年から打ち切りとなった。吹越烏帽子登山が町民にすっかり浸透し、所期の目的が達成された、というのがその理由だ。「町が音頭をとらなくても、本当に多くの人たちが登るようになった」。秋田さんは感慨深げだ。

 吹越烏帽子といえば、山を赤く染めるヤマツツジが知られている。が、一時期、盗掘が横行した。盗掘跡の穴も散見される。秋田さんは「盗掘のためスコップを持って登った人もいた。怪しい人を見かけると、よく注意したものだ。昔、ツツジは圧倒的に多かった。一面に咲いた。今はちらほら、という感じだ。最近は盗掘は無くなり落ち着いてきた」と表情を曇らせる。

 四季、吹越烏帽子に登りこだわりを持つ秋田さん。「山頂から見る朝日、夕日もいい。朝日はアメリカから昇るんだ」。そして「吹越烏帽子はいつも心にある。愛着のある山です」。この言葉は町民の声を代表している、といえそうだ。

<メモ>作付面積日本一のナタネ

 菜の花畑から見る吹越烏帽子は写真の定番になっており、ポスターなどに使われている。ナタネは1955(昭和30)年ごろから横浜町で換金作物の代表として作付けされ65年ごろには約800ヘクタールに伸びた。その後、ジャガ芋の輪作体系に組み込まれたことから面積が減ったが、89(平成元)年に収穫機を導入したことで手間が掛からなくなり再上昇。現在の同町の作付面積は約200ヘクタール。89年から作付面積日本一を続けている。

(1998/04/25 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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