あおもり110山
(どっぽうざん  177.2m  川内町=現むつ市)
 
■ 人々に親しまれる寺山

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独峰山山頂付近のお堂で行われた泉龍寺の例大祭。参拝者は年配の女性が多い=1998年8月24日
 8月に入ってずっと雨や曇りの日が続いていた1998(平成10)年の下北だったが、同月24日はそれまでの天気がうそのように晴れ渡り、気温がぐんぐん上がった。遅い夏の訪れだった。

 この日は、川内町の独峰山泉龍寺の例大祭。壇家のお年寄りたちを中心に続々と独峰山山頂付近にあるお堂に集まってきた。手に手に重い荷物を持っている。お昼に食べる精進料理がどっさり入っているのだ。

 独峰山には愛宕権現がまつられている。山の例大祭といえば神社が執り行うことが多いが、ここでは寺が行っている。県内では珍しい。この寺山を地元の人たちは、独峰山ではなく「愛宕山」と親しみを込めて呼んでいる。

 寺には〇○山△△寺というように山号をつけているところがある。同寺住職の鈴木久人さん(37)は「架空の山を山号にしている寺が多い中にあって、実在の山を号にしている寺は少ない」と話す。

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お堂の前の地蔵に赤い帽子と前掛けをしてあげる参拝者=1998年8月24日
 例大祭が始まった。住職が般若心経などをよみあげたあと、「□□家、家内安全、身体堅固、心身堅固、万難消失、諸般成就…」と集まった約35人の名を読みながら祈とうしていく。名を読み上げられると、参拝者はさい銭を投げ、畳は小銭で埋められていった。

 祈とうが終わると、お堂の中で楽しい昼食だ。前日から仕込みをして朝に作ったという赤飯、豆腐・フキ・ワラビの煮しめ、夕顔の煮付け、ナスの煮付け、キュウリと春雨の酢の物などが並ぶ。みんなこの日を楽しみにしているようだ。屈託のない笑顔が広がる。

 お堂の前に「国威宣揚武運長久 祈願」 と刻まれた石碑が建っている。1943(昭和18)年に建てられたものだ。愛宕権現が勝軍地蔵とも言われていることから戦時中、人々は独峰山に登り戦勝を祈願した。

 川内町川内の大山運蔵さん(82)は「中国と南方へ2回出征した。その都度、ここにお参りに来た。戦争の神様だからね。無事帰れたのは愛宕さまの御利益と思っている」。

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地元の人から愛宕山と呼ばれている独峰山の全景=1997年4月20日、県道川内・佐井線付近から
 同町銀杏木の金田一よねさん(70)は兄が応召、中国からフィリピンヘと転戦した。兄が心配でたまらなくなった金田一さんは、独峰山に登って無事を祈願しようと考えた。銀杏木尋常小学校高等科に在学しているときだった。でも道が分からない。「当時、父はサハリンに出稼ぎに行っており、母は農作業で手が放せなかった。そこで、近くのおばあさんに頼んで、山に連れてきてもらった」。山へは2回参拝した。兄は無事帰ってきた。

 今日は何を祈ったのですかと聞いてみた。「今日一日元気で働けるように、と。仕事も何も忘れて、楽しかった。さっぱりした。そのためにここに来たのです」。金田一さんは、やわらかい表情でこう答えた。

 戦時中は、どこの地域からも道をつくって山に登り祈願した、と古老たちは振り返る。あれから50年余。世は平和になった。住職の鈴木さんは「今はみなさん、平和で健康な一日を過ごせるように、と祈っているようです」と話す。時代とともに、人々の願いは変わった。

 食事が終わったお堂では、ご婦人たちの歌が始まった。手拍子に合わせ、踊りもとびだした。平和で和やかなひとときだった。

<メモ> 湯野川温泉の泉源を所有

 泉龍寺は1672(寛文12)年の草創という。曹洞宗。川内町の湯野川温泉の泉源は同寺の所有。初代住職が泉源を発見したといわれる。明治の高僧河口慧海は、チベットから持ち帰った経典を翻訳するため、同温泉の薬師堂に滞在した。薬師堂は今は無く、同温泉にある泉龍寺湯川庵に薬師如来がまつられている。この湯川庵には慧海の写真が飾られている。また慧海は同寺に書を揮ごうした。号は「雪山通人慧海」である。

(1998/10/24 東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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