あおもり110山
(しかくだけ 1003m 田子町・秋田県鹿角市・岩手県安代町)
 
■ 山頂が3県に接する

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地元・田子町からはなかなか姿が見えない四角岳だが、新田地区からはよく見える。残雪の奥が山頂=97年5月30日
 青森(田子町)秋田(鹿角市)岩手(安代町)−の3県の接点が四角岳である。

 本県唯一の“三国峠”だが長い間登山道が開かれず、森林施業も1965(昭和40)年ごろまでは行われないで自然の姿を保ってきた。その後、ふもとでブナが伐採され杉に置き替わった。が、中腹から上は依然、ブナを主体にした天然林が残っている。民有林が多く人工林の割合が高い三戸郡の山の中にあって、その景観は価値がある。

 この四角岳に登山道が開かれたのは68年ごろ。「子供たちに地元の山に登ってもらおう」と町の有志がボランティアでルートを造った。最初のうちは町民健康登山などの催しが企画されたが、次第に関心が薄れ登山道を整備する人がいなくなった。そして登山道は、やぶに戻った。

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三戸郡の中ではよく残っている四角岳中腹のブナ林=97年5月29日
 しかし、3県に接する山だけに人々の関心が高く「四角岳に登りたいが、どう歩けばいいのか」などの問い合わせが三戸営林署(庁舎は田子町にある)に年間10件ほど寄せられてきた。

 そのような折、町から「四角岳に登山道があればいいのだが…」と署に要望が出された。同署総務係長の松尾亨さん(37)が早速踏査してルートを設定。94(平成6)年に1週間以上かけて登山道を復活させた。

 その登山道を歩いてみた。登山口から杉林を歩いて行くと、ほどなくブナ林に入る。このブナは太い。白神山地のブナの森を歩いているような気分になる。1時間ちょっとで山頂台地に着く。山頂からの眺望は360度。どっしりした岩手山、八幡平、南北八甲田、十和田山、戸来岳、名久井岳、階上岳などがよく見える。

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四角岳山頂。3県の方向を示す標識が印象的だ=97年5月29日
 山頂に、約600平方メートルの小さな高層湿原があった。高層湿原は、八甲田にはあちこちにあるが、県南の山では珍しい。季節は5月下旬。ミズバショウ、ミツバオウレンがひっそり咲いていた。7月になればニッコウキスゲ、キンコウカなどが咲く。

 登山道ができたことで、町民登山大会が開かれるようになった。森林インストラクターの資格を持つ松尾さんは、「地元の自然を知ってほしい」と森林教室の先生を務めている。学校のPTA、幼稚園…と“生徒”はさまざま。森の働きを中心に説明しているが「みなさん、山頂からの眺望に感激する」という。

 「四角岳は3県にまたがる特別な山。三戸営林署の宝なんです」と四角岳のPRに意欲をみせているのが同署土木係長の田村正義さん(53)だ。「山頂を踏んだ人が申請すると、田子、鹿角、安代の三首長名で登山証明書を発行してやりたいと考えているんです。証明書は“四角”の板にしてね。ぜひやりたい」。田村さんは実現に向け知恵を絞っている。

 いま、四角岳北側の県境尾根の下にトンネルを掘ろう、という動きが出ている。田子町と鹿角市は国道104号で結ばれているが、雪が多い。安全確保と時間短縮をめざし田子町のみろくの滝付近と鹿角市大湯をトンネルで結ぼうという計画だ。「世紀越しトンネル」。トンネル名がユニークだ。「実現するのは21世紀ですからね」。町役場はこう説明する。

 地元にとっては昔からタケノコ採りの場だった四角岳。この山の周辺がいま、随分にぎやかになってきた。

<メモ> 幻に終わった鉄道計画

 1907(明治40)年ごろ、四角岳北側を通って田子町と秋田県を結ぶ来満鉄道計画が持ち上がった。原内閣時代の帝国議会で計画が認められ22(大正11)年には田子町七日市でくい打ちが行われた。しかし、翌年の関東大震災でとん挫。35(昭和10)年、再び鉄道計画が持ち上がった。軍部が、四角岳北西の不老倉鉱山から産出される銅を鉄道で運び軍需品の原料にする構想だったが、これも実現はされなかった。

(1998/3/21  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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