あおもり110山
(なくいだけ 615.4m 名川町=現南部町・三戸町・南部町)
 
■ 伝統の7歳児初参り

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1時間半をかけて登った月山神社奥殿で山崎茂穂宮司からおはらいを受ける7歳児と父親=98年7月25日
 1998(平成10)年7月25日。午前6時を回ったら、親に手を引かれた白装束の子供たちが続々、三戸町泉山地区の月山神社に集まってきた。前年11月、国の重要無形民俗文化財に指定された「泉山七歳児初参り」に参加する子供たちだ。

 この行事は出羽三山から伝わったと言われ、旧暦6月12日(現在は新暦7月25日)に、数え年で7歳の男児が名久井岳第二峰の月山に登り山項の月山神社奥殿にお参りする。これまで成長してきたことに感謝するとともに、今後の無事を祈るもので、これを経験すると“泉山の男”の仲間入りをするという通過儀礼の一つだ。

 80(昭和55)年に県無形民俗文化財に指定されたのを機に、地元住民が保存会をつくり、行事を守り続けている。「戦時中も終戦の年もやった。全国で初参りをやっている所は3カ所あると聞いている」と元保存会事務局長の佐々木政美さん(71)。長年、同地区だけで催してきたが、子供の減少に伴い86年からは三戸町教委が対象を全町に広げて募集、行事が途絶えないように努めている。

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南部町の旧奥州街道から望む名久井岳=97年6月29日
 幼稚園・保育園の年長組が対象で、今年の参加者は9人。保存会が用意した白鉢巻き、白はんてん、白ズボンを身にまとった子供たちはまず、「祈願 健康」と書かれた絵馬の裏に朱の手形を押し、腰に下げた。

 さあ、出発。途中、泉山神社に参拝。境内では、ござの上に正座した泉山地区の女児15人が待っていた。初参りに参加している男児と親は、女児一人ひとりにさい銭をあげる。このお金は女児たちの小遣いになる。これも、長く続いている風習だ。女児や、初参りの男児の母親は、ここで一行を見送る。女人禁制のしきたりが、今も厳然と残っているのだ。

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初参りの前に記念の手形を押す7歳児=98年7月25日、月山神社境内で
 明神さまで休憩。ここからの急登に汗を流し、約1時間半をかけて月山山項へ。子供たちは山頂にある月山神社奥殿の前に並び、同神社宮司の山崎茂穂さん(69)から、おはらいを受けた。山崎さんは、この伝統行事の神事を28年間欠かさず務めている。

 山頂では、既に登っていた泉山地区の男たちが酒宴を繰り広げていた。初参り一行もごちそうを広げる。狭い山頂は立すいの余地も無いほど人でいっぱいに。同神社氏子総代の山田正司さん(70)が場を盛り上げる。地域みんなで、子供たちの登頂を祝う。

 9人の男児のうち、実は泉山地区からは1人しか参加していない。その山下浩司君(6つ)は「疲れたけど山頂は気持ちがいい」と元気。父親の浩身さん(37)は「子供が最後まで登れたのを見て、うれしかった。これからも健康に育ってほしい」とにっこり。

 また祖父の浩作さん(63)は「私の初参りのときは、1週間前から水ごりをとり、食事も家族と別なものを食べた。今朝、浩司に水ごりをとらせ、身を清めた。いつまでもこの行事が続き、泉山地区から初参りの子供が出続けてほしい」と目を細めていた。

 下山は、南部町の恵光院に通じるルートを歩いた。途中、15カ所あるほこらに、さい銭をあげながら下る。このさい銭を受け取るのが小学3−6年生の係。かつては各ほこらごとに児童が待機していたが、今年は2人だけ。農村地域の人口減少や少子化の傾向が、ここ泉山地区にもはっきり現れている。

<メモ> 98年末で262回登頂の愛好家も

 名久井岳に毎月1回(第3日曜日の早朝)登っているグループが名川町にある。町教委が1974(昭和49)年に「地元の山に登りながら体力づくりを」と始めたもので、その後、愛好会が主催している。87人の会員のうち98年末現在、久保盛さん262回、赤石京子さん252回、久保久夫さん200回、根市政志さん159回、米内正一さん122回、根市政美さん106回−と6人が100回以上登頂している。

(1998/8/22  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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