あおもり110山
(はとだけ 528.5m 階上町)
 
■ 旧家が栄えたあかし

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どっしりとした鳩岳。左側が山頂。右側に見えるのは鳩岳の西肩で上の山と呼ばれている=97年5月18日、階上町平内の県道から
 住所は鳩。名字も鳩。そして家の背後の山は鳩岳。さぞ誇りにしているのでは、と思い階上町鳩地区に鳩寅吉さん(71)を訪ねた。鳩家の玄関を出て仰ぎ見ると、真っ正面に鳩岳の西肩(地元では上の山と呼んでいる)が、迫ってくる。まさに鳩づくしだ。

 が、鳩さんは困ったような表情を浮かべた。そして話し始めた。「実は大正時代末期まで、鳩岳の北半分は鳩家のものだったんです」。その“鳩家の鳩岳”が、家の事情で手放さなければならなくなり戦後、さらに多くの人に分筆された。今は地権者の多くは八戸の人だという。

 「悔しいですよ。この山が以前は自分たちのものだったことを思うと」。鳩さんは表情をゆがめた。

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鳩岳のふもとにある奥の院の石ケ堂。阿弥陀如来をまつっている=97年10月16日
 「父の代まで、鳩岳から薪炭材を切り出し、炭とまきを八戸方面に売ったものです」。山が人手に渡っても、鳩さんは鳩岳で炭焼きなどの山仕事に従事した。「自分のものでなくなった山で炭を焼くことに、随分悔しい思いをしたものです」と鳩さんは言うが、鳩岳の恵みで生計を立ててきたのだった。

 炭焼きが行われなくなったのは、八戸市が栄え働き口が増えてから。炭焼きに従事していた人たちは、こぞって八戸に働きに出た。鳩さんもその一人だった。八戸市金浜で働いていたときのこと。鳩さんは同僚から興味深い話を聞いた。

 「レーダーが無かったころ、金浜の漁船は、階上岳が雲で隠れると、鳩岳を目印に航行したというんです」鳩岳で炭焼きが行われなくなってから、ミズナラ、クリなどの広葉樹は杉やカラマツに置き換えられた。「針葉樹になったため動物のえさが無くなりキツネやタヌキが畑に下りてきて荒らす。広葉樹の山に戻すべきです」と鳩さんは訴える。

 人手に渡った山−。悔しい思いをしているものの「かつて家が栄えたあかしが山の名として残っていることを誇りに思うこともあるんです」。鳩さんは、すこし胸を張って言った。

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大岩のあるところが鳩岳山頂。四等三角点がある=97年5月18日
 鳩岳には、階上岳の晴山沢口登山道から登ればよい。途中で鳩岳登山道に乗り換えると、ほどなく山頂に着く。登山口をはじめ登山道沿いの所々に大岩がある。山頂にも大きな岩がでんとあるが、山頂一帯は杉やカラマツのため眺望は利かない。が、山頂からすぐ下の大岩からの階上岳や八戸市の眺めは抜群だ。

 晴山沢地区の階上岳・鳩岳登山口は、西光寺の奥の院で、行楽地として町民から親しまれている。奥の院を開設したのは同寺の38世住職の根岸龍典さん(52)だ。

 ここの石室で虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)が休んだという伝説がある。根岸さんは、この伝説にヒントを得た。「ここは霊験がある場所。地域に楽しむ場所がなかったため、なんとか休日に遊べる所を、と考えた」。

 地権者から土地を提供してもらい1971(昭和46)年に奥の院をオープンさせ76年、土地提供者の一周忌を機に正式に開山させた。整備は壇信徒が行った。

 この奥の院と鳩岳が好きで、年に5−6回は登山に訪れているのが八戸市の会社員一山吉治さん(52)だ。「鳩岳は春はツツジ、夏は八戸の夜景、秋は紅葉、冬は静けさを楽しめる。奥の院は森閑としたところがいい」と魅力を語っている。

<メモ> 晴山沢の虚空蔵菩薩伝説

 階上町晴山沢地区に伝わる伝説によると昔、虚空蔵菩薩は階上岳北西のつくし森に住んでいた。ところが、一帯は放牧のためにおいがする。これでは身を清められない、と菩薩は場所探しのために移動し、西光寺の奥の院の石室(石ケ堂)で休んだ。その後、晴山沢の二階森に登って見回した結果、南郷村島守を安住の地に選んだという。南郷村の菩薩は「日本三大虚空蔵菩薩」として知られ、例大祭はとてもにぎわう。

(1997/11/22  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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