あおもり110山
(はちまんだけ  1022m  七戸町・天間林村=現七戸町)
 
■ 県南地方の信仰集める

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八幡岳山頂にある岳八幡宮社殿でおはらいを受け、それぞれの願いをかける信者たち=98年6月15日
 1998(平成10)年6月15日。八幡岳山頂にある岳八幡宮の例大祭日は土砂降りの雨だった。夜明けとともに登り始めたが登山道は濁流と化し、さながら沢登り。かっぱを着ても雨は体をぬらしてしまうほどだった。

 山項の神社社殿には数人の信者がいた。昨日のうちに登り、ここで一夜を過ごした人たちだ。これを“おこもり”といい、古くから行われている、という。「おこもりをして朝日に手を合わせると、気持ちがすっきりする」と七戸町上町野の大工西野敏さん(52)。例年であれば20−30人が社殿に泊まるが、今年は悪天候が予想されたため少ない、という。

 “おこもり”を10年以上続けている同町八栗平の農業田村吉次郎さん(71)は「標高が高いから引き付けられる。高い山に登り参拝すると気持ちがいいからね」。

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北八甲田・赤倉岳東斜面中腹から見た八幡岳。左奥が山頂=97年5月1日
 山頂に登った人たちは、それぞれの願いをかける。西野敏さんは家内安全と商売繁盛を祈願した。「不景気で大工の仕事が入って来ないんだ。苦しいときの神頼みだあ」と苦笑い。

 山頂の神社は以前、上川目神社といわれていたが、神体や宝物が盗まれるため1869(明治2)年、七戸町高屋敷地区に拝殿を建設して宝物などを移し、岳八幡宮と命名された、といわれている。

 岳八幡宮宮司の高田英陽さん(48)が山頂に着いた。神官の装束に着替え、豪雨のなか続々登ってくる信者に対し、神事を執り行う。「津軽の岩木山に対し、南部の八幡岳と言う人もいる。山頂に神社がある山では県南で一番高いからね。七戸町を中心に広く県南地方から参拝に来る」と高田さん。

 山の南斜面に広い牧場が造られ、1981(昭和56)年度に舗装牧道が完成してからは八幡岳登山は短時間でできるようになったが、それ以前は手ごわい山だった。

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今は牛が放牧されず、採草地として使われている公立八幡岳牧場=98年7月19日
 「昔は馬立場から4−5時間かけて登った。西野小中学校時代には遠足で登った。朝暗いうちから登り始めたもの」と西野敏さん。また、中学校教論から七戸神明宮宮司に転身して4年たつ松林和子さん(46)は「七戸中に在学中、八幡岳登山は大きな学校行事だった。夜、たいまつを手に3年生全員が4−5時間かけて登り、山頂で朝日を拝んだ。この登山は楽しくてしょうがなかった」と振り返る。

 八幡岳は以前「雄嶽」(おだけ)といわれ戦前のころまでは、15歳に達した男が、旧4月15日に“おだけ参り”をして成人の仲間入りをした、という。

 七戸町西野の農業西野福次郎さん(73)は、そのときのことを鮮明に記憶している。「毎朝、暗いうちに起きて八幡岳から流れる川に行き、裸になって1週間身を清めてから参拝した。本当に冷たい水だった。明るいと恥ずかしいから暗いうちに水ごりした」

 終戦のころまで「八幡さまは、いくさの神さまだから」と出征兵士らが八幡岳に登り、武運長久を祈願した、という。「確かにそういう時代もあったが、今はみんな平和を求めてここに登ってきている」と高田さんは話す。

 神事が一通り済んでから、みんなで車座になってお神酒を交わした。「これがいいんだよ」。晴れ晴れとした表情。笑顔がこぼれる。強い雨が社殿の屋根を打ち続ける。このとき、大雨洪水警報が発令されていた。

<メモ> 利用者が減った公立牧場

 八幡岳南斜面の牧場は、中部上北広域事業組合(七戸町、旧上北町、旧天間林村)の公立八幡岳牧場321ヘクタールと七戸畜産農協の八幡岳牧場55ヘクタールだ。公立牧場は1974年から81年まで造成され、83年には500頭の牛が放牧されていたが、放牧環境が厳しかったうえ、91年の牛肉自由化で撤退する農家が続出、94年から牛は放牧されていない。今は採草地として利用されている。畜協牧場では90頭の牛が放牧されている。

(1998/9/12  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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