あおもり110山
(えぼしだけ  719.6m  野辺地町・東北町・平内町)
 
■ 21年間続く耐久登山

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班ごとに助け合いなから歩く野辺地高生徒=97年9月12日、まかど温泉スキー場付近で(野辺地高提供)
 下北半島“まさかり”の柄の部分から海越しに烏帽子岳を見ると、山項部分はそれこそ烏帽子のように見える。

 その烏帽子岳の南側に整備された登山道がついている。ヒバ林を経て気持ちのよいブナ林を縫って歩くこと約1時間。山頂に着くと、視界が360度開ける。北は下北半島や津軽半島の山々、東は太平洋、西は岩木山や八甲田、そして南は名久井岳、階上岳まで見える。

 この烏帽子岳を舞台に野辺地高校は1978(昭和53)年から耐久登山を続けている。むつ市大湊高校は67年から釜臥山で耐久登山(男子30.2キロ、女子24.4キロ)を実施、同高から野辺地高に赴任してきた教諭が「本校でも烏帽子岳で耐久登山をやり生徒の心身を鍛えよう」と提言したのが始まりだった。以来毎秋、烏帽子岳のアンテナ管理道を利用し全校六百数十人が参加する登山を実施してきている。コースは、同校−アンテナ管理道−山頂−馬門温泉−同校の24.5キロ。ただし、女子は山頂登山が免除され20.5キロ。

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山頂から野辺地町の町並みが一望のもとに見渡せる=98年4月30日
 歩く生徒は大変だが、準備する学校も大変なようだ。87年から耐久登山を担当している同校教諭の楠明雄さん(49)は「とにかく安全第一。けが人や急病人が出たとき、あるいは天候が急変した場合の対応を、常に頭に描きながら対応している」と言う。当日は各関門に先生を配置、また生徒に先生が同行、健康状態をチェックする。まさに総動員態勢だ。

 準備も怠りない。事前に2回、コースを下見する。スズメバチの巣を見つけ、町に除去してもらったこともある。生徒は1週間前から体育の時間を利用してトレーニングし当日に備える。それでもままならないのが天候だ。秋は天候が変わりやすいため、天気予報をにらみながら最終的には当日の朝に実施を決めている。過去21回のうち、降雨中止は98年を含め、2回あった。

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枇杷野川から見た烏帽子岳=98年4月30日
 体力や友人関係を考慮し数人の班を編成し、助け合いながら登っている。最初のころは、班単位のタイムレース的な色彩が強かったが、最近は鍛えるより楽しむ方向に変わってきており、時間にはこだわっていない。

 中止になれば喜ぶ生徒が多いため、歩く身にとってはかなりつらいものらしい。3年生のとき第1回登山に参加した野辺地町役場総務課主幹の島谷祐悦さん(38)は「運動が苦手だったので嫌だった。リタイアだけはしたくない、という気持ちだけで歩いた。疲れた、という記憶しかない」と今でも顔をしかめる。

 一方、運動が得意な生徒は楽しんで登る。町役場建設課運転技能員の村山禎親さん(36)は「3年生のとき、運動部員だけで班をつくり1着をめざした。ずっとトップだったが、馬門で抜かれ2着ゴール。コースのほとんどを走った。今はとてもできない。高校時代の楽しい思い出として残っている」と懐かしそうに話してくれた。

 楠さんは「班単位で登るので、思いやりや協力精神など人間関係が育成される。苦しさに耐え、やり通した成就感を味わうのは貴重なこと」と意義をあらためて語ったあとこう結んだ。「耐久登山は、既に本校の伝統になっている。週5日制で行事が見直されているが、このような行事は残していきたいものだ」

<メモ> 山頂からの眺望に人気

 烏帽子岳は山頂からの眺望に優れているため人気が高い。野辺地町観光協会は毎年6月の第2日曜日に山開きを催している。かなり以前から行われ、1970年ごろには約100人が参加、今は約200人が登り柴崎牧場に下山、そこで懇親会を開いている。山頂北側にはアンテナが林立、県内テレビ4局、県防災行政無線、平内町農林漁家情報連絡施設の各アンテナが立っている。ここは青森市と県南を結ぶ電波の中継地点である。

(1999/2/19  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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