あおもり110山
(どこのもり 803.7m 田子町・三戸町)
 
■ なぞの石が斜面に散在

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ドコノ森の山頂付近に立つ田子町野外活動協会の会員ら。後方は左から十和利山、十和田山、戸来岳=98年11月30日
 山頂近くになぞの石がありますよ−。その言葉に誘われて、田子町からドコノ森に登ってみた。案内してくれたのは田子町野外活動協会副会長でクリーニング業の今野萬喜雄さん(51)と同会事務局長で町立図書館副館長の佐藤大さん(49)。

 大黒森を大きく巻き、雪の林道を四輪駆動車でかなり走ってから、登山口に着いた。標識も何も無い。かすかに道の跡が見えるだけだ。雪を踏み締め緩斜面を約20分登ると、問題の場所に出た。

 周辺は一面の雪だが、石が散在している場所だけは雪がついていない。「だいぶ石が持ち去られたので、いま、その石があるかどうか」と佐藤さん。それでも、彫刻刀で掘ったような線が表面についている石がいくつも見つかった。地元ではこれを刻線石と呼んでいる。「どう見ても人工的につけられた傷ですよ」と佐藤さんは言う。

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雪をまとったドコノ森=98年11月30日、田子町椛山地区の県道から
 ここから先は道がついていない。深い雪をこぎ、ササやぶをかきわけて進み山頂に立った。大黒森、朝日奈岳、稲庭岳、十和利山、十和田山、戸来岳などが見渡せた。

 なぞの石は1936(昭和11)年、金鉱を探すために訪れた調査員が見つけた。日本は神国といわれていた時代のこと、この刻みは“神代文字”と宣伝され、にわかに注目を集めるようになった。さらに新郷村のキリスト伝説が付け加えられ、39年に日大教授が製作したキリスト映画にもこの石が登場した。

 いまでも時々、週刊誌が取材したり、漫画家の水木しげるが取り上げたり、大学の研究者が訪れたり…となかなかにぎやかだ。

 「自然についた傷ではなく人工的なものが加わった、と考えたい」と話すのは田子町文化財審議委員長の馬場清さん(66)だ。馬場さんが初めてこの石の存在を知ったのは旧制八戸中学時代。「妙な石がドコノ森にある」と言われ、強い関心を持った。ところが当時はアクセス道が全く無く、とても一人では行けない深い山だった。

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田子町のロッジ・カウベルに飾られているドコノ森の刻線石。不思議な線が見える=98年11月30日
 初めて現場を訪れたのは、それから15年ほどたってからのことだった。「問題の石を見てびっくりした。なぜ、こんなものがここにあるのだろう、と思った」と衝撃を受けた。この石はその後、大黒森や十和利山の南斜面で見つかったが、依然としてなぞのままだ。

 20年ほど前、町公民館が主催し健康登山を企画したことがある。「四角岳、朝日奈岳、大黒森など地元の山に登り健康づくりを」という趣旨で、ドコノ森もその対象になった。今野さんらが刈り払って登山道をつくり、町民を案内したが、ドコノ森登山は1回しか開かれなかった。「大黒森を経由してドコノ森に登るルートをつけると人気が出ると思うのだが…」。今野さんと佐藤さんは、ささやかな夢を教えてくれた。

 さて、石である。馬場さんは「今の世の中、分からないものがあってもいい」と、なぞの解明に執着しない。佐藤さんも「分からないからみんな好き勝手に解釈する。それが面白い。夢がある。“なぞ”で町おこしをする手もある」と口をそろえる。

 その路線で作ったのがJR東日本の田子町ポスターだ。キャッチフレーズはずばり「謎(なぞ)の国、タプコプ」。ドコノ森と刻線石の写真が躍っている。

<メモ> “十和田古道”が山腹通る

 田子町の人たちは昔、十和田湖の十和田神社に参拝する際、同町清水頭からドコノ森を巻いて迷ケ平に出てから休屋に向かった。田子町野外活動協会副会長の今野萬喜雄さんによると、この古道はやぶに覆われているものの現存し、朽ち果てた多数の鳥居がある、という。古道沿線に「カギカケの木」という願をかけるイタヤの木があり、三戸営林署土木係長の田村正義さんは、この木とドコノ森を題材にして紙芝居を製作した。

(1999/1/16  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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