あおもり110山
(まつもりやま  804m  十和田市=旧十和田湖町)
 
■ 大町桂月が愛した山

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松森山全体はブナ林に覆われているが、この山頂だけはコメツガの純林となっている=1999年6月26日
 赤沼から、赤倉岳に向かう登山道が延びているが、その反対側にもしっかりした道がついている。豊かなブナ林を縫っている、ゆるやかな道だ。その道をゆっくり歩くこと約30分。コメツガの純林がある岩場に出る。山頂とは言い難い、なだらかな台地だが、ここが松森山の山頂だ。

 国土地理院の地形図には、標高804メートルの点しか表示されず、山名がついていないが、地元の人たちは松森山と呼んできた。

 この山を愛したのは、詩人で評論家の大町桂月(1968〜1925・高知市)だった。桂月は1921(大正10)年11月14日、太田吉之助(故人)の案内で初めて松森山に登った。以来、ここが気に入り度々訪れている。

 23年4月5日には山頂のコメツガに登り「大ガの頂に達すれば、展望開く。奥入瀬川の行末に三本木原横たわり、その末に太平洋天に接す。赤倉岳を仰げば絶壁直立す。赤沼の一部見ゆ」(要旨)という文を残している。晩年の桂月が、木登りを楽しんだのがほほえましい。

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松森山のブナ林。斜度があまり無い登山道は、ブナ林の中を縫っている=1999年6月26日
 また23年から24年にかけて蔦温泉に詩人の児玉花外(明治大学校歌の作詞者)と長期滞在した際、桂月は花外を松森山に誘った。花外は山歩きの趣味が無いため断ったが、桂月は「登山袋に酒があるよ」と誘ったら、酒好きの花外は喜んで応じた、というエピソードもある。

 このほか、知人と蔦温泉から酸ケ湯温泉に行くとき「ちょっと遠回りして松森山に寄って行こう」と誘うなど、桂月は自分が気に入った松森山を旅人たちに紹介するのを好んだ。

 蔦温泉代表取締役の小笠原耕四郎さん(63)も松森山がお気に入りの一人だ。子供のころ、父母から「あそこはいい所だ。山頂の木に登ると、大平洋や八戸が見える」と何回も聞かされ、松森山に強いあこがれを持っていた。父も桂月同様、親しい人たちに松森山を紹介するのを楽しみにしていた。

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松森山山頂にある大岩。この岩の上が山頂だ=1999年6月26日
 小笠原さんが初めて松森山に登ったのは20歳のころ。「イメージ通りの場所で本当に感動した。山頂の岩全体にびっしりコケが生え、コメツガの稚樹が敷き詰められ、それを踏むのが惜しかったほどだ」。40年以上前のことだが、鮮やかによみがえって来る、という。

 今は人が行くようになったため、岩にコケは無く、コメツガの稚樹も無いが、小笠原さんは、今でも松森山山頂は好きな場所だ。「あそこに行くと父母のことを思い出す。命日には、父母がそこにいるような気がする。山頂の岩に座っていると、気持ちが休まる。神園にいるような感じがする」と話す。小笠原さんは今も時々、朝食前に蔦−赤沼−松森山−蔦を歩くのを楽しみにしている。

 森閑とした山頂で休み、眼前に迫る赤倉岳の眺望を楽しんでいたら、愛知県知多郡から来た岡戸俊直さん(69)とばったり会った。13年前から毎年蔦温泉に滞在し、桂月と同じコースを歩くのを趣味にしている。

 「松森山は気に入ったので、毎年登っている。自然が深いのがいい。白神のブナより、こちらのブナの方が気に入っている。その中を独りで歩いていると気持ちがすーっとする」と話し、しっかりした足取りで赤沼の方に歩いて行った。

<メモ> 多くの名前で呼ばれる

 この山の名は、さまざまな名で呼ばれている。大町桂月の紀行文には松森山、姫森山という名で登場する。また、松森、姫小松森も使われている。村井三郎編「十和田湖・ハ甲田山の植物」(1935年、青森営林局刊)には「里人はここを松森山と称している」と書かれている。本記事は、小笠原耕四郎さんの「ヒメコマツ(ゴヨウマツ)は少ないし、姫森山も説明がつかない。松森山が一番すっきりする」という説に従った。

(1999/8/14  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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