あおもり110山
(たもやちだけ  1324m  青森市)
 
■ 観光拠点ロープウエー

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これから田茂萢岳の斜面を降りようというスキー客。盛岡市から来たという=1999年4月4日、ロープウエー山頂駅で
 「ロープウエーが出来るまでは、道が無い田茂萢岳は知られていなかった。山頂付近の田茂萢湿原も道に迷った人でなければ見られなかった」。八甲田ロープウェー社専務の福地恒夫さん(70)は、こう言って振り返る。しかし1968(昭和43)年、ロープウエーが開業すると、田茂萢岳は酸ケ湯と並んで八甲田登山の表玄関になった。

 八甲田にロープウエーを、という話は、戦後間もなくから取りざたされていたが、実現に向けてリーダーシップを発揮したのは平野善次郎副知事だった。平野さんは63年に副知事に就任してからすぐ「北八甲田に観光の拠点になる施設をつくるべきだ。拠点になるのはロープウエーだ」と提唱。これを受け、青森放送、青森ガス、松木屋、カネ長、弘南バス、南部バス、酸ケ湯温泉などが一緒になって64年、八甲田ロープウエー社を設立した。

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田茂萢岳は、ピークが2つある。左のピークに山頂駅がある=1997年10月1日、黒石市沖揚平から
 会社は出来たが、ロープウエーの建設場所は白紙だった。まず考えたのが大岳山頂に架けること。「みんなが『最高峰の大岳に』という漠然とした夢を持っていた」と福地さん。が、当時環境行政を担当していた厚生省は「もってのほかだ」とはねつけた。

 同社が次に考えたのは、睡蓮沼から有料自動車道路を1.6キロ造り、その終点から高田大岳にロープウエーを架け、48人乗りのゴンドラを運行させよう、というものだった。同省はこれも「とんでもない」と拒絶した。

 八方ふさがりのとき、平野さんはこう言った。「全国国立公園大会を八甲田の田代平に誘致しよう」。同大会はカネかかかるため引き受け手が無く、主催の厚生省は困っていた。渡りに舟、と65年の田代平大会がすぐ決まった。このとき出席した厚生官僚に平野さんが「ロープウエーをどこに架ければいいのか」と尋ねたところ「田茂萢岳なら許可する」という答え。こうして田茂萢岳にロープウエーを建設することが決まった。

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10分で山ろく駅から山頂駅まで駆け上がるロープウエー=1999年4月4日
 山ろくから山頂駅まで全長2,459メートル。101人乗りの大型ゴンドラとしては開業当時、東洋一の長さを誇った。

 ロープウエーは、夏山観光だけを対象に開業した。山ろく駅を通る県道(現国道103号)が冬期間、閉鎖されていたからだった。とはいっても、ケーブルに氷が付着したまま放置しておくと寿命を縮めるため、山ろく駅と山頂駅に社員4人ずつが越冬して保守管理する、という涙ぐましい努力を重ねた。

 一方、国鉄(現JR)青森出張所職員が69年春、「八甲田にスキー客を呼ぼう」と提案。国鉄は、都内の国電の中づり広告で大々的にPRし、八甲田春スキークーポンも売り出すなど力を入れた。こうして八甲田春スキーが定着していくにつれ除雪も進み、82年からは冬でも酸ケ湯に国鉄バスが走るようになり、待望久しい八甲田通年観光が実現した。

 ロープウエー利用者は右肩上がりに増え続けている。年間約45万人が利用、紅葉シーズンの10月には1カ月に11万人も乗るほどの人気ぶりだ。98年、開業以来30年ぶりにケーブルを張り替え、運休した。「このとき、多くの人たちから『困る』と言われたんです」と福地さん。建設当初からの目標だった八甲田観光の拠点としての地位を築いた、という確信が言葉の端々にのぞいていた。

<メモ> 八甲田の気象情報を発信

 マスコミで報じられているハ甲田の積雪量は田茂泡岳のものだ。また、青森地方気象台のハ甲田唯一のロボット雨量計が口−プウエー山頂駅付近にあるなど、田茂萢岳は観光の拠点だけでなく、八甲田の気象情報の発信地となっている。田茂萢岳はピークが2つあり、一般的には山頂駅がある所が田茂萢岳山頂、もう一方がニセ田茂萢岳と言われているが、国土地理院の地形図では、ニセ田茂の方を田茂萢岳山頂と表記している。

(1999/5/8  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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