あおもり110山
(おおだけ  1584.6m  青森市)
 
■ ロープウエー計画撤回

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「八甲田の日」を記念して大岳に登る参加者たち。左右の植生復元工事が登山者の目を引く=1998年7月12日、山頂付近
 南北八甲田の山々の中で最高峰、八甲田のシンボル的な存在だ。県は1984(昭和59)年3月、この大岳付近を通るロープウエー計画を発表した。

 計画は、大岳と井戸岳の中間付近に山頂駅を設け、ここから酸ケ湯と田代平箒場に向かってケーブルを架設するもので全長7.253キロ。

 当時、県観光課長だった中野轍自郎さん(67)=現青森ケーブルテレビ社長、県山岳連盟顧問=は「本県の観光活性化のためには通年で八甲田を生かすしかない。それには冬の八甲田観光振興に力を入れるべきだ」とロープウエーの必要性を説いた。同計画は80年ごろから県企画部内で検討、事業化するために中野さんが観光課の事業に組み入れたいきさつがある。

 すぐ、八戸市から反対の声が上がった。以後、反対運動の中心となる八戸勤労者山岳会会員で県農林部職員の蒔苗政儀さん(56)と同市の自営業中里栄久寿さんは「大変だ。緑の山が無くなる。八甲田の生態系を守らなければ」と考えた。当時既に大岳山頂は裸地化し、周辺の崩壊が問題になっていた。

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スキーヤーを魅了する大岳の東−南斜面=1998年3月25日、小岳山頂から
 県は85年9月、環境アセスメント委員会を開催。反対を唱える側は「アセスを免罪符に建設に踏み切るのでは」と一気に緊張に包まれ、全県的な反対組織づくりに動き86年3月、6団体、600人で構成される「美しい八甲田山を子供たちに!県民の会」(秋元良治会長)を結成。八甲田の生態系と景観を次代に残そう、と誓い合った。

 そもそも同計画は最初から無理があった。ルートの大半が国立公園特別保護地域に指定され、建設は不可能な状態にあった。それでも踏み切ったのは「他の国立公園でも建設の前例があったので、アセスをきちんとやれば百パーセント駄目ではないのでは、と思った」と中野さん。わずかな確率にかけたのだった。

 県民の会にも「環境庁がOKを出すわけがない」と楽観視する向きがあったが「他県の例もあるし、政治決着が心配。県民の姿が見える運動をしなければブレーキをかけられない」と運動に力を入れた。事実、中野さんは可能性を打診するため環境庁に日参した。しかし環境庁は首を縦に振らなかった。

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大岳山頂のミヤマキンバイの群落。年々少なくなってきている=1997年6月25日
 啓発登山、写真展、陳情などを精力的に開いた県民の会は、県のアセスに対抗するため、県内の学者に依頼し独自にアセスを実施した。民間アセスは全国初。このアセスで八甲田は既に利用過剰になっていること、風の条件が悪いこと−などが分かった。

 県アセスも「自然に悪影響を与えるので不適当」と断を下し、環境庁も最後まで拒否し続けた。そして89年4月、県は計画を断念した。幕を引いたのは商工労働部長になっていた中野さんだった。

 県民の会は、八甲田を大切にしようという精神を後世に残すため7月10日を「八甲田の日」と定め90年から毎年、記念登山を催している。

 中野さんは「今でもロープウエーはやるべきだ、と思っている。集団登山より雪の上を滑る方が自然環境に圧力を与えない」、そして蒔苗さんは「県民が、愛している自然に対し意見を言ったことに誇りを持っていいと思う。八甲田はなお自然破壊にさらされている。心配事は絶えない」と語る。計画断念から9年。両者の弁である。

<メモ> 50人のボランティア活躍

 自然と触れ合う人たちをサポートする必要が出てきたため環境庁は1994(平成6)年に国立公園パークボランティア設置要項を設け、各事務所長がボランティアを認定している。八甲田地区は95年から実施し、98年現在約50人。美化清掃、自然解説、登山道管理、地図作りなどに活躍しており、八甲田のボランティア活動は全国の中でも非常に活発な方だという。

 昔、八甲田は八耕田と表記、大岳は酸ケ湯岳と呼ばれた。

(1998/8/29  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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