あおもり110山
(こだけ  1478m  青森市・十和田市)
 
■ 昔ながらの八甲田の姿

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厳しい風雪によって形成された樹氷が林立する小岳西斜面。奥に見えるピークは小岳山頂=1999年2月16日
 かつて北八甲田の大岳山頂はハイマツに覆われていた。それが、“容量”をオーバーした登山者が訪れ踏み付けたため枯死、今は裸地が広がっている。「小岳の山頂のようなハイマツ群落が広がっていたなあ」。昔の大岳を知る人たちはこのように言ってため息をつく。

 北八甲田の中では訪れる人が少なく静かな小岳。だから小岳に魅せられる人がいる。その一人が青森市の写真家一戸義孝さん(51)だ。一戸さんが本格的に八甲田に登り写真を撮るようになったのは1965(昭和40)年、山岳写真の草分けの一人笹森秀雄さんと出会ったのがきっかけだった。笹森さんの家に遊びに行き山の写真を見せられたとき、ショックを覚えた。そして山岳写真の魅力にとりつかれ、笹森さんの助手になり腕を磨いた。多いときは、1年の3分の1も八甲田に入った。

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冬の八甲田登山の拠点仙人岱避難小屋。1階が雪で埋まり、2階から出入りする=1999年2月16日
 「若いときは大岳に登ることが多かったが、今は小岳に行く方が多い。南北八甲田の中で小岳山頂からの眺望が一番いいから。360度のパノラマでは表現が足りないから、私は“380度の大パノラマ”と言っている」

 「仙人岱から小岳にかけての斜面の樹氷が八甲田の中で一番だ。八幡平、蔵王、西吾妻など樹氷で知られる山に全部行ってみたが、樹氷の大きさといい全体のスケールといい小岳に全然かなわない」

 小岳を称賛する言葉が口をついて出る。ただ今後、登山ブームに乗って多くの登山客が訪れる可能性がある。「北八甲田でコケモモやハイマツの大群落が残っているのは小岳と高田大岳。小岳山頂もすこし裸地が出てきた。早めに手を打ってもらいたい」と気掛かりな様子だ。

 一戸さんが、八甲田で撮影をするとき拠点にしているのが仙人岱の避難小屋だ。小岳、大岳、硫黄岳からほぼ等距離という非常に便利な位置に建っている。冬や残雪期に八甲田に入山する登山者の多くが利用、人気が高い。

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小岳山頂付近に広がるハイマツ群落。背後は大岳(左)と井戸岳・赤倉岳=1998年6月30日
 この小屋を県が造ったのは55年10月。このころ既に都会からスキーヤーが訪れ、ガイドしていた青森林友スキークラブが「休憩したり宿泊できる小屋を造ってほしい」と県に要望、実現した。

 暖房の燃料は石炭。酸ケ湯の従業員らが石炭を荷揚げし、小屋の地下室に貯蔵した。しかし、小屋の利用者が増えると燃料が追い付かなくなり、小屋のさくり板をはがして燃やす人が現れ始めた。このため一戸さんら山仲間はお金を出し合って修理を続けたが、風雨をしのぐのが精いっぱいの状態が続いた。

 毎年修理をするのは大変だ、と一戸さんは各山岳団体に諮ったうえ3種類の設計図を添えて県に建て替えを要望した。設計は受け入れられなかったが、県は建て替えを快諾し80年、新しい小屋が完成した。これが今、登山者から愛用されている小屋だ。

 一戸さんは、八甲田で正月を過ごして1999年で31年目になる。「今年は樹氷が見事だから、小屋に泊まって小岳で撮影しよう、と思ったが、吹雪のため5日間、小屋の中にいただけだった」。が、八甲田に身を置いただけで満足−そんな表情がうかがえた。それほど小岳や仙人岱避難小屋を気に入っている一戸さん。青森市で自身が開いている登山用品店の名はずばり「仙人岱ヒュッテ」である。

<メモ> 志功を感動させた神タカ

 仙人岱避難小屋の近くにハ甲田清水がある。かつて板画家棟方志功が、ハ甲田の名ガイド鹿内辰五郎仙人らとここを訪れ水を飲んでいたとき、仙人が笛を吹いてタカを呼んだ。志功は生前「タカの両翼に日の丸がついていた。休も頭もじーんとなり夕力を拝み続けた。仙人が泣きながら『志功、お前偉くなる。世界一になるぞ』と叫んだのを私も泣きながら聞いた。この神タカがあったから自分の画業がある」と話していたという。

(1999/5/8  東奥日報朝刊に掲載)本文中の、市町村名、人の年齢や肩書きは、取材当時のものです


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